妙なこと覚えやがって、と一方通行は舌打ちをする。甘ったるいチョコレートクリームの味は、口腔内からもうとっくに消えてしまっていたが、唇に寄せられた感触は忘れようがない。それに、さっきの『してやったり』と言わんばかりの――大人びた顔。さっさと席を立ったから良いものの、あれ以上あの場にいたらどうなっていたことか。
「…………っつーか、」
アレは、世に言う『キス』というやつではなかったか、と一方通行は思い当たりたくない現実を直視した――途端に、唇の感触がまた蘇って、思わずしゃがみ込んでしまった。



 玄関で靴の具合を確かめていると、背後から元気な声がする。
「あ、コンビニに買出しだね、ってミサカはミサカはあなたに声をかけてみる!」
出かけようとした一方通行を目ざとく見つけた打ち止めは、返事も聞かずに靴を履き始める。
 打ち止めが唐突にキスをしてきた日からもう数日が経っている。結局その間で一方通行が出した結論は、『気にしない』だった。
 ある意味キスで済んで良かったのだ、と今になって思う。打ち止めは別に一方通行のことを好きだと言ったわけではない。チョコレートクリームの味を確かめたくて少し横着をしただけかもしれない――その場合、彼女の手が特に塞がってなかったことには目を瞑らなくてはならないが。あの日から妙に打ち止めがいそいそと近寄ってくることについても、目を瞑らなくてはならないが。
「ついでに豆腐買ってきて欲しいじゃん」
リビングから顔だけ出した黄泉川が言う。さっき台所で用意していた材料を見ると、多分麻婆豆腐か何かなのだろうが、また炊飯器で作る気なのだろうか。一方通行はため息をつく。
「スーパーに行くわけじゃねェよ」
「そんなに遠くないから行こうよ、ってミサカはミサカは誘ってみたり」
既に準備が出来たのか、打ち止めは一方通行を急かすように玄関のドアを開きながら言う。
「まぁ距離があるわけじゃないし、適度な運動はリハビリにも良いわよ」
後ろから、他人事と言わんばかりの顔で言う芳川に、一方通行はこれ見よがしにため息をついてみせた。まぁそれは、ウルセェ分かったから黙れ、という意思表示ではあるのだが。



 スーパーまでは確かに遠くない。だが、川沿いの土手や建設中のビルなど、街灯が少なく暗い道を多く通らなければならなかった。何があるか分からない、という危機感がイマイチ薄い同居人たちに心の中で舌打ちをしつつ、一方通行は心持ちゆっくりと歩く。打ち止めはそんなことは露知らずという無防備な様子で、トコトコと一方通行についてきていた。
 と、打ち止めがあっ、と小さな声を上げる。一方通行が振り返ると、ぽかんと口を開けた打ち止めが、空を見上げながら言った。
「流れ星!ってミサカはミサカは指さしてみたり!」
「……もう消えてンだろ」
夜空を見向きもせずに釣れない返事を返すと、打ち止めは、むぅ、と唸る。
「あなたには常日頃からろまんちっくが足りない気がする、ってミサカはミサカは主張してみたり」
「せめてカタカナで言えるようになってから言えよ、クソガキ」
あからさまな平仮名発音を一方通行が指摘すると、打ち止めは、ぐっ、と詰ったような顔をする。だが、特に言い返してきたりはせずに、彼女は気を取り直すようにもう一度空を見上げた。
「また見れるかなぁ?ってミサカはミサカはあなたに尋ねてみたり」
その目は、そうだよね、と暗に同意を求めている。否、同意を確信していた。一方通行は、さァな、と気のない返事をしてそのまま歩き続ける。打ち止めはそれでも嬉しそうに後ろをついてくる――今度は、一方通行の服の袖を握って。

 きっと――ずっとこのままではいられない。
 自分にとっては、この穏やかな日々の方が蜃気楼のようなもので。
 またあの暗い日常に足を踏み入れてしまえば、多分もう、彼女の傍には戻れないだろう。

「流れ星じゃなくても、空は綺麗だよ、ってミサカはミサカは大満足!」
そう、振り返った彼女が笑う。この先のことを考えていない、今の延長の日々を思っている彼女の、屈託のない笑顔。

 その笑顔を、真っ直ぐ見返すわけにはいかない。だけれど、目が逸らせない。
 言葉にするわけにはいかない――けれど、目は口ほどに、物を云う――云ってしまう。

「あくせられーた?」
不思議そうに立ち止まった打ち止めから、一方通行は視線を逸らす。これ以上見つめられれば、分かってしまう、きっと。
「……何でもネェよ」
問われる前に、一方通行はそう言って予防線を張った。けれど、ぎゅう、っと打ち止めは一方通行の服の袖を握りこむと、決心したように顔を上げた。
「あのね、ミサカは、」
彼女が口を開いた刹那、言葉が紡がれる前に唇を塞いだ。伝わらないように――伝えるように。決定的な言葉を封じ込めて、決定的な行動をとってしまった。

 何だ、これは。
 まるでムチャクチャで、おおよそ理性的ではなくて、
(今口付けてる部分はあまりに甘くて――)
 まるで、触れ合った部分から、脳が溶けていくようだ。
 頭の隅の理性が警鐘を鳴らす。だが、唇は彼女を食らうのに夢中でいうことなど聞かない。

 しばらくして、息が続かなくなって唇を離すと、打ち止めが顔を赤くして、俯くのが見えた。
「…………強引だなぁ、もう、ってミサカはミサカは照れてみたり」
怒ったような口ぶりとは裏腹に、打ち止めの頬は緩んでいる。そうして、ゆっくりと彼女は呟いた。
「……えへへ、ってミサカはミサカはあなたと手を繋いでみる」
袖を握りこむようにしていた打ち止めの指からそっと力が抜けて、そろそろと移動するのが分かる。そうして、おずおずとその指は一方通行の手に触れた。打ち止めははにかむような嬉しそうな顔で、そのまま一方通行の指を握る。

 言葉にしなかったから、なんて、単なる言い訳だ。気持ちは多分伝わってしまっている。本当は今すぐそれを否定して、守り守られるだけの関係に戻らなくてはならない。演算機能を借りる代わりに、安全を確保する、そういう関係に。

 けれど、一方通行は彼女の手を振り解けなかった。
 彼女の手を握り返すのではなく、ただ振りほどくことが、たったそれだけのことが出来なかった。

 彼女の目には綺麗な夜空が、そして幸せな未来が映っている。
 そこに、自分がいないことを――彼女は知らない。


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打ち止めから好意を示されてもちゃんと受け入れないんじゃないかなぁ、一方さん
あくまで表の側で最優先の守るべき存在としか思わないようにしてそうだ
ちゃんと胸を張ってロリコンになれる日が来てほしい


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