どうして、あんな馬鹿な男のことが――



 ふと夜中に目が覚める。何故だろう、と思ってから、視界に入ったバカ面に納得のため息一つ。涎を垂らして寝ている姿は、百年の恋も冷めるだらしなさだ。
 麦野は一つ伸びをして、辺りをそっと見回した。埃っぽくて狭い倉庫は酷く寒い。その刺すような冷たさの空気の中で――浜面だけが温かそうに見える。少し体を伸ばせば、寝相が悪いと言い訳すれば、それだけで簡単に触れられる距離に彼がいる。
「…………どうして、」
夢じゃないのだろうか、と麦野は心の中で呟く。
 例えば、やられた傷の後遺症で死ぬほど苦しくて目覚めた朝――麦野は歯軋りするほどに浜面のことを想った。憎しみで人を殺せるなら、確実に浜面を殺していただろう。
 例えば、失った心の痛みで死ぬほど寂しくて眠れなかった夜――麦野は唇を噛み締めて浜面のことを想った。寂しさで人を振り向かせられるなら、確実に浜面を振り向かせていただろう。

 けれど、そんなの全て夢だと思っていた。
 絶対に、もう戻れないと。
 二度と、浜面と同じ道を歩めないのだと。
 ――そう、思っていた。

 そんな麦野の絶望を、事も無げに……当たり前に振り解いたのは、目の前のこの馬鹿な無能力者だった。かつて自分を倒し、この上なく惨めに捨てた癖に。それでも諦められないと、そんな勝手なことを言って。
 そうして、麦野を救ったのは――やはり、浜面だったのだ。


 そっと触れた浜面の頬は涙が出るほどに温かかったけれど。それは単なる錯覚で、実際に伝わってくる体温は単なる電気信号に過ぎない。麦野の体は既にボロボロになっていて、元の体と同じ『パーツ』なんて、もう数えるほどしか残っていない。腕も、手も、何もかも、もう無邪気に触れたって気持ちの悪い感触を返すだけだ。
「なぁ、はーまづらぁ」
ほんの少しだけ自分に残った生身の部分――唇を、浜面の頬に押し付ける。頬にキスなんて、そんなガキくさい真似をしている自分を馬鹿みたいに思うけれど、心臓の音が跳ね上がって。それが生きているのだと言うことを麦野に訴えかけてくる。唇を離して顔を覗き込もうとしたところで、うん、とむず痒そうに寝返りを打って背を向ける浜面に、麦野は苦笑した。

 こんな自分を、浜面が選ぶことはないだろう。
 否――たとえ五体満足であったとしてもきっと、浜面が麦野を選ぶことはないのだ。

「……………、」
 酷く虚しい気分になって、麦野はふらりと立ち上がった。



「ねむれない?」
ベランダ、と言うには少々崩壊しすぎているそこには、先客が居た。滝壺は特に驚いた様子もなく麦野を見つめている。
「そう、ね……眠れないのかもね」
横に居る男が気になって眠れないなんて、乙女も良いところだ。だが本当にそうなのだから仕方がない。麦野はそんな感傷を振り払うように首を振ると、滝壺の横に並ぶ。
 しばらく、二人で深深と降り積もる雪を眺める。まさか学園都市から遠く離れたロシアで、しかも特段仲が良かったわけでもない滝壺と夜中に話をすることになるとは思ってもみなかった。どこか掴みどころのない滝壺は、進んで二人きりで話したい相手ではない――今のような関係なら、尚更だ。
 結局、話す糸口が見つからずに黙りこくっていると、滝壺がゆっくりと麦野の方へ視線を向けた。
「……はまづらは、いつに戻りたいのかな?」
ぽつりと、滝壺は言った。まるで独り言のような、懺悔のような独白だった。
「私たちははまづらに会ったときから、『アイテム』だった」
滝壺が言いたいことを、麦野はその一言で理解していた。浜面に会った頃から、自分達は『アイテム』だった。非合法の学園都市の暗部。汚いものも綺麗なものも、任務と言われれば遂行した。善も悪もなく、ただ人を追い詰め、人から奪い、時には殺すことだってあった。
「そうね。どの面下げて………………どこに戻る気なのかしらね」
浜面だって元はスキルアウトに所属していたのだから、汚いことの一つや二つ経験しているはずだ。けれど――表と裏、光と影、それは全然違う。浜面はきっと『アイテム』に巻き込まれるまで真っ当な――日向の匂いのする男だったはずなのだ。
「むぎの…………」
「分かってる」
小さく呟いて、麦野は滝壺を見つめる。彼の手を、汚させたくない。汚れてしまっている自分達の手など、これ以上どれだけ血に染まっても平気だ。誰かを殺し、誰かに殺される。そんなことは暗部に落ちた時点で覚悟していた。――だけれど。
「……………………絶対に、殺させない」
そんな道に、あの馬鹿な男を引きずり込むわけには行かない。単なる足手纏いにしかならなかったであろう滝壺を、見捨てられなかった男。あんな酷いことをした自分を、諦められなかった男。

 きっと目を見て人を殺してしまったら――死ぬほど後悔するであろう男。

 麦野は戦友であり恋敵であり――仲間な彼女に言う。
「この先、殺すのは……私達『アイテム』だけだ」
真っ直ぐに向けた視線を受け止めて小さく頷いた滝壺と、静かに拳をぶつける。
 そうだ、舐めるな。『アイテム』は――学園都市の暗部は、あんな馬鹿が足を踏み入れられる次元ではない。あんな甘っちょろくて詰めが甘くて何処までも優しい無能力者が『アイテム』のはずがない。
 あの馬鹿な男がいれば、それで私達は救われるのだから。だから、せめてその未来が明るいように。こんな自分達と同じにならないように。

(だって……私は、)
 あの馬鹿な男が、どうしようもなく――


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と言うことで、このサイトで特に求められてない麦野→浜面でした
ごめん、だって22巻でむぎのんが超デレたのと、はーまづらぁがあまりにも危うかったので
実際むぎのんの想いが報われることはないと思うんですけどね…
浜面って実際敵を殺した描写があまりなかったと思うので、そこ前提の妄想です


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