向けられる奇異の視線、視線、視線。
 浮かべられる恐怖の表情、表情、表情。

 こちらの視線を落としても纏わり付くそれは、何時まで経っても消えることのない影だ。少し首の角度を動かすだけで、少し唇を動かすだけで、周りがざわめき後退していくのが分かる。彫像のように動かないでいても、その一挙手一投足を逃さないよう監視してくる癖に、いざ動くと何も出来ずに怒声を飛ばして牽制するだけ。
 思わず笑みを浮かべると、野次馬の一人が恐れるように背を向ける。その後は早かった。一人、また一人と散り散りになっていき、気がつけば周囲には誰もいなかった。
 ため息をついても、高笑いをしても、睨みつけても、何も返って来ない。それは、自分のための王国。それは、自分だけの王国。
 試しに、涙を一粒零してみても――誰一人戻ってこなかった。



 寝汗の感触が気持ち悪くて目が覚める。たっぷりと汗を含んだ布団は、ほんの少し部屋の空気に触れていただけで急激に熱を失っていった。否、ほんの少しではなかったのかもしれない。髪を掻き上げた指先は酷く冷たくなっている。どれだけの間俯いていたのか、自分でもよく分からなかった。
「…………胸糞わりィ」
吐き捨てて時計を見ると、夜中の3時だった。舌打ちをして、冴えてしまった頭と寒さを嫌う体を動員して部屋を出る。冷たい廊下を踏みしめて向かった先のリビングにはもう誰もいなかった。
(………………)
少し考えてから、コーヒーメーカーをセットする。匂いや音はしてしまうだろうが、流石にこの時間に起きている同居人はいないだろう。ゆっくりと、コポコポという音を立てながら溜まっていく黒い液体を、ぼんやりとしたまま見つめる。ちょうど一人分のコーヒーをカップに移すとソファへ移動する。体を温めようとして選んだコーヒーが、眠気覚ましにも使われることを思い出したのは、入ったコーヒーを啜り始めてしばらくしてのことだった。

 また――世界中から嫌われる夢を見た。

 一方通行は元々夢見が良くない。過去に見てきたものや自分の歪み方からして夢に見るものが幸せお花畑の系統でないことに諦めはついていたが、多少なりとも"足を洗った"今でも悪夢が続いているのは正直計算外だった。
(まァ、普段は夢なンぞ見ねェのが救いか……)
調子が悪くなるとすぐに悪い夢を見てしまう、それが自分の精神の弱さを示しているようで自然ため息が出る。いつもは缶で済ませるコーヒーを珍しく丁寧に淹れたのは、そんな気分を紛らわせるための気まぐれなのだろう。マグカップを傾けて柄にもなくコーヒーを揺らしていると、黒いコーヒーの表面に歪んだ自分の顔が映った。カップを揺らせば表情はかき消えるが、手を止めればすぐにまた醜い表情が浮かぶ。それが気に入らなくてカップを揺らしていると、ふとした拍子にコーヒーが派手にこぼれ落ちた。
「ッ、」
「あーぁ、なにやってるの、ってミサカはミサカは呆れてみたり」
慌てて床を拭こうとしたところで、横から小さな手が伸びる。驚いて手の止まった一方通行には気を止めず、ティッシュペーパーの箱を傍らに置いた打ち止めはさっさと零れたコーヒーを拭い始めた。
 夜更かしするな、とか、寒そうな格好で出てくるな、とか。打ち止めに言えることは色々あったが、どれもこれも話を逸らすような話題ばかりで口に出せなかった。
「いつから居たンだよ、オマエ」
結局、一方通行はそう打ち止めに話しかける。
「さっきからずーっといて、あなたに声をかけたけど全然気づかなかったんだよ?ってミサカはミサカは半分怒って半分心配してみる」
打ち止めは、少しだけ手を止めて一方通行を見た。その視線を正面から受け止めることが出来ず、一方通行は目を逸らす。そのまま会話は止まってしまい、二人は沈黙の中でティッシュでコーヒーを拭き続けた。やがてすっかりコーヒーの跡が消えたところで、ぽつりと一方通行は言った。
「……そりゃ悪かったな」
「うん……」
少し俯いた後、打ち止めはふと気がついたように聞く。
「怖い夢でも見た?ってミサカはミサカは……」
その彼女の言葉が続かなかったのは、きっと自分の強張った表情を見てしまったからだろう。たかが夢にこれだけ振り回されるなんて、と笑い飛ばしてほしかった。笑い飛ばしてもらえるだけの――必死じゃない表情を作りたかった。


 けれど、あのたった一人の王国には今目の前にいる彼女すらいない。
 泣いても喚いても、誰一人戻ってこない。
 それは――何て残酷で、何て予定調和で、
 何てあり得る、未来の夢。


 指先すら動かせない一方通行に、そっと打ち止めが近寄ってくる。しゃがんだままの移動はやけに不器用で、やけに子供っぽい。そのままさっきまでコーヒーの零れていた床を踏み越えて一方通行の正面に来た打ち止めは、じっと一方通行の顔を覗き込んで言った。
「たとえあなたが世界中の人から嫌われても、それ以上にミサカはあなたのことがすきだからね、だーいすきだからね、ってミサカはミサカは精一杯愛情を伝えてみたり」
馬鹿みたいに明るい声と、額に触れる柔らかな唇の感触。瞬きをしている間に、近づいた打ち止めの体が離れていく。多分、今の自分は酷く呆けた顔をしているのだろう。打ち止めが照れたように、けれど幾分大人びた表情で一方通行を見る。何か言おうと思ったが、何も思い浮かばない。
 目の前の小さな子供はきっと言葉通り――自分のことを愛するのだろう。それこそ、世界中の全ての人間から嫌われても絶対に。世界中の全ての人間よりたくさんの愛情で。
「…………阿呆」
額を抑えながら小さく呟いたその声が聞こえたらしく、打ち止めが振り返る。それでもその顔は、全てを見透かすかのように笑っていた。


 それからも、夢見が悪いのは変わらない。
 だけれど、十数回に一回は子供に付き合わされる夢を見るようになった。そういう時は大抵目を覚ますと傍らに無許可で迷惑な子供が眠っている。ベッドは狭いし子供の寝相は悪い――けれど、寒い日に暖を取るには良いだろう。


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久々にすごいすんなり書けた通行止め
何だかんだで一方さんを打ち止めがさりげない日常の端々で
何でもない感じで助けてると良いなと思うんだ


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