そんなことをしたって、何処にも行けやしないのに。



 右手と左手のバランスが悪い。一方通行はチラリと隣を歩く打ち止めの姿を見下ろす。鼻歌でも歌い出しそうなくらいに脳天気そうな彼女は、手にした傘をくるくると回しながら歩く。子供なら誰でもやりそうな行為だが、何かの拍子に誰かにぶつかるのではないかと酷く危なっかしく感じる。いつものように手を引こうかとも考えるが、ついこの間それで同居人達に誂われたばかりだ。
 一方通行は辺りに少しだけ目を走らせる。宵闇が近づいた時間ながらもまだ人通りが多い大通りと違い、この近くにある脇道はあまり人に使われていなかったはずだ。
「オイ、クソガキ。こっち通ンぞ」
「え、そっちからだと遠回りになるよってミサカはミサカ、は……ははーん、ニクい心遣いですなーってミサカはミサカは二つ返事で従ってみたり!」
振り返った打ち止めは少し思案するような顔をした後、ぱっと顔を輝かせる。何やら変な方向に勘違いをしている子供にため息をつきながら、一方通行は少し狭いその道に足を踏み入れた。


「うわぁ、真っ白ーってミサカはミサカは、えい! 足跡えい!」
「はしゃいでンじゃねェよクソガキ」
普段は殆ど使われていない道らしく、降り積もった雪には大分前についたであろう足跡が二つ三つ残るだけになっている。嬉しそうな彼女の横を、一方通行はサクサクと雪を踏みしめながら静かに歩いていく。
(入っちまったけどよォ)
どうするつもりだ、と自分に問いかける。暗部から足を洗って久しいが、それは自分が狙われない、という言い訳にはならない。人の多いところが必ずしも安全、というわけではないが、人の居ない場所へ自ら赴くなどと言うのは下の下の策と言えた。
「ッ、」
ふと、気配がして振り返ると、背後で車のサイドミラーから雪の塊がドサリと落ちていくのが見えた。それは別になんということもない日常の風景だ――それなのに、ふと体に入っている力に、
(ア、)
変われないのは世界の方じゃない、自分の方だと――唐突に気がついた。


 雪の中で、足を止める。僅かにオレンジ色の光を灯した街灯だけが彩る町は酷く静かで、まるでこの世に二人きりの気分になる。
「何だか寂しいね、ってミサカはミサカは呟いてみたり」
いつの間にかこちらを見上げていた彼女の不安げな顔に、あぁ、と独りごちる。誰もいない景色をどこか懐かしいと思う自分と、それを寂しいと言う彼女は、多分根本的に違うのだ。本来ならけして交わることのない、ライン。それが今ほんの一瞬だけ重なっている今がきっと、イレギュラーなのだ。

 世界でたった二人きり――そんな奇跡みたいな時間がいつまでも続くなんて幻想を抱けるほど、脳天気にはなれない。
 けれど、いつまでも続くことを願えないほど、クソッタレな人生だったわけでもない。

「寒くない?ってミサカはミサカはアナタに聞いてみる」
明るく差し出された手を、無視して――

(あァ、今なら)
ぼんやりと手を伸ばして、小さな体を抱き寄せる。分かっている、これがどれだけ身勝手で罰当たりで後ろ指を指される行為なのかを。温かくて柔らかい肌が、玩具のように打ち捨ててきた誰と似通っているのかを、自分が忘れることはない。

 だけれど――今なら、抱きしめても、誰にも何も言われないから。

「寒いの寒いの飛んでいけー」
耳元で小さな声がする。背中をとんとんと叩くリズムはどこか安心を引き出すような懐かしさで、虚を衝かれるような思いになった。涙が出そうになって、目を見開いたまま黙って俯く。
(……何、考えてンだ)
ほんの少しだけ、このまま彼女を攫って何処へなりとも消えてしまいたい衝動に駆られた。この温かさと、いつか別れてしまうくらいならば――いっそ。

 そんなことをしたって、何処にも行けやしないのに。

「温かいねぇ、ってミサカはミサカはアナタをぎゅっとしてみたり」
囁き声すら、世界の中に溶けていく。けれどそれすら錯覚だと、本当は分かっている。


 灰色の傘と青色の傘は、降り積もる雪の中で小さく咲いている。
 雪の中で、ひっそりと。
 それでも白に紛れることなく。

 まるで、誰にも見つからないことなどできない、とでも言うように――残酷に咲き誇っていた。


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久しぶりに後ろ向きもやし…
もやしは聖人君子過ぎるところがあるのでたまには身勝手になってみれば、と思いつつ
そうできないのがもやしなんだろうなぁって気もするのです
で、今日は新約4巻発売日ですがまだ買ってきてないです行ってくる…





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