人の目が気になりだしたのはいつの頃からだったろう。少なくとも、あのハロウィンの夜(ブリテン・ザ・ハロウィン)以降なのは確かだ。それまでの自分は――誰のことも気にならなかった。ただ前へ前へと進んで、国民のためと思いながら生きてきたけれど、その実その国民を省みたことなどなかったのかもしれない。
「……ただの感傷だし」
グラスに入った赤ワインを揺らしながら、キャーリサは小さく呟いた。もう夜中と言っても良い時間帯だが、キャーリサにとってはまだギリギリ活動時間に入る時刻だ。
 ほんの少し前までは、こんな風にアルコールを口にして『仕事』をしたりはしなかった。この変化がどういう原因によるものなのか、キャーリサには分からない。
 さっきまで頭の中で描いていた戦略を思い出そうとして深呼吸する。海岸線から敵兵が侵攻ケース、物理的な攻撃と魔術による攻撃、情報操作――そこまで考えたところで、キャーリサは軽く頭を振った。どうも考えの巡りが悪い。クーデターに失敗するまでは気持ちを切り替えればすぐに思索に耽れたのに、今ではそれもままならない。
「……なーにが、『軍事』の第二王女だ」
唇から零れ落ちた言葉が案外乾いていて、キャーリサは苦笑した。普段はこんな言葉は口が裂けても言わない。自分が自分であることを誇ること、その名に相応しい行動をすること、それが王室に生まれ育った自分の義務だと思うからだ。だからキャーリサは背中を丸めたりしない。常に前を向いて進む――そして進んだ結果が、あぁだった。
「お前は、失望したりしなかったの?」
視線を向けることもなく、キャーリサは部屋の隅に佇んでいる男に聞く。
「いいえ」
短く騎士団長は答えた。この男は常にそうだ。普段はあれだけ一歩引いたところがある癖に、肝心なところで無作法に踏み込んで来る。今だって本当は完全に人払いをしたはずのこの部屋に、命令をまるきり無視した状態で居座っている。まぁでも、そんなことを言えば事情はどうあれ、今のこの状況を許してしまっているキャーリサにも問題はあるのだろう。
「浅はかな考えだと、馬鹿な女の大馬鹿な振る舞いだと、思わなかったの?」
手の中で弄んでいる赤ワインの色とは似ても似つかないはずなのに、それでもふとした時に思い出すのはあの時流れた血の色だ。犠牲が少なかったから、皆分かってくれたから、真意は別のところにあったから――そんな言い訳で自分を納得させることができるほど、キャーリサは恥知らずではない。今は恥知らずを装って前へ進むことが必要だからそうしているだけなのだ。
 それなのにそんな風に纏っている虚像の内側を、他ならぬこの男に晒してしまうのは一体どうしてなのだろうか。
「そうですね。今思えば、お止めするべきでした」
静かに騎士団長はそう言うと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。近寄るな、とも、まぁ良い、とも言えなかった。騎士団長はテーブルまで近づくと、キャーリサが手にしていたグラスを取り上げて、中身を一気に飲み干した。
「飲んでいーとは言ってないし」
「多量のアルコール摂取は、体に毒ですので」
さらりと言い返した騎士団長には悪びれる様子がない。かえって毒気を抜かれたキャーリサはため息をついた。
「言うほど飲んでない。それに、お前だってよくはないし。私よりよっぽど飲んでるだろーが」
この男が度々傭兵と酒を酌み交わしていることをキャーリサは知っている。尤も、今はどうなのかキャーリサには分からない。決定的に袂を分かち、また戦線を交差させ、そして再び別れた戦友と彼がどんな話をしたのか、キャーリサは知らない。話をしたのかすら聞いていない。
 思い返してみれば騎士団長と自分にあったのは元々もっとドライな関係なのだ。英国という王国を守るための主従関係。それがどうしてか、この男自身のことを考えることが多くなった。
「…………どうかされましたか?」
いつの間にか見つめてしまっていたらしい。少し怪訝そうに問われて、キャーリサは首を振った。らしくない――本当に。あんな少量のワインで酔ってしまったのだろうか?
「お前は、いつまでここに居る気なの……邪魔だし」
愚問、だった。キャーリサは騎士団長の主だ。究極的に言えば、二人の関係に騎士団長の意思など介在しない。聞いても仕方のないことを聞くのは、単なる時間の浪費だ。
 撤回しようとキャーリサが唇を開いた刹那、徐に騎士団長が跪く。何も言えずにいると、膝を折ったまま真っ直ぐに彼はキャーリサを見上げた。
「……ここまでくれば一蓮托生です。あなたが踊り続ける限り、いつまでも傍らにおります」
それが自分自身の望んだ答えだったのか、キャーリサには分からなかった。

 進めば、また間違えることだってあるだろう。無様に地に這い蹲ることがあるだろう。
 でも、それでも傍に居るとこの男は言った。
 それは、まるでこの男との関係を錯覚してしまいそうになるくらいに――

「……馬鹿な男」
キャーリサは呟いた。その声音にスプーン何匙の甘えが混じっているのか、自分にも分からなかった。


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どうやら自分で思ってた以上に騎士団長×キャーリサのカップリングが好きらしい……
公式なのか良く分からないですけどね!
禁書21巻は8月発売だそうで……ロシア編クライマックスとか本当に終わるのか
騎士団長20巻では役に立たなかったしなー、もうちょっと活躍して欲しいなー(キャーリサ様は格好良かっただけに


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