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 抱きつこうとしたら、手の平で額を抑えられて阻止された。さっきまでは心細くて、今は嬉しくて泣きそうだったから、この人の服に顔を埋めて誤魔化してしまいたかったのに。
「…………なンで地図あンのに迷うンだよ、クソガキ」
ぶっきら坊な、でもいつもどおりの声がして、ますます泣いてしまいそうになる。だから、必死で口元を引結んだ。溢れそうな涙を堪えてからでないと、顔を見せられない。
 けれど――
「良かったね、お兄ちゃんが迎えに来てくれて」
安心させるように、さっきまで相手をしてくれていた案内所のお姉さんがそう言ってくれて、堪えられなくなってしまった。ポロポロと目から涙が出てくるのを止められない。こういう時は何故か鼻水まで一緒に出てくるので、結局泣いてることがバレてしまった。
「誰がオニイチャンだ」
気まずそうにそっぽを向きながらそう呟かれる。髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜる手つきは乱暴だったけれど、そもそもこの人は滅多なことでは頭を撫でてくれない。もしかしたら、心配してくれていたのかもしれない。そう思うと申し訳なくて、益々涙が溢れてきた。
「帰ンぞ」
相変わらずの冷たい声だったけれど、帰り道は手を繋いでくれたから――あぁ、この人は『家族』なんだって、安心したのを覚えている。
***


 何処かに行ってきたらしい一方通行が戻ってきたのが分かって、打ち止めはソファから体を起こした。玄関のドアを閉める音がゆっくりなのが一方通行だ。片手がいつも杖で埋まっている一方通行は、他の二人の大人たちと違って後ろ手にドアを閉めたりはしない。自然に閉じるドアの動きは案外ゆっくりなことを、打ち止めは最近分かるようになっていた。急いで出迎えに行くと、一方通行はちょうど靴を脱いで廊下に上がるところだった。杖についた汚れをきちんと払っている辺り、実は律儀な人だな、と思う打ち止めである。
「どこ行ってたの、ってミサカはミサカはあなたの手から下げてる袋を見ながらわくわく尋ねてみたり!」
「……ホラよ」
呆れた顔で一方通行はコンビニ袋を差し出してくる。笑顔で受け取った打ち止めは、しかし袋の軽さに訝しげな表情を浮かべた。コーヒー缶以外にほとんど重さが感じられない。リビングに入ってがさごそと中身を探ってみると、何かお菓子が入っていたのであろう空になった袋が2、3個立て続けに出てくる。
「? ゴミだけしか入ってないよ、ってミサカはミサカはあなたを問い詰めてみたり」
「アー……途中で会ったシスターが目ざとくてよォ」
何か思い出したのか、うんざりした顔をしながら歩み寄ってきた一方通行は打ち止めからコーヒーの缶を受け取ってソファに腰を下ろす。隣にちょこんと座った打ち止めは、一方通行を見上げて聞いた。
「シスター……?」
「腹減ったってウルセェから袋差し出したらほとんど食っちまいやがったンだよ」
ハァ、とため息をつく一方通行。シスター……以前聞いたことがある、『アマサン』という職業の人のことだろう。
 打ち止めは手元の袋をまた覗き込んだ。何度見ても空っぽになったお菓子のゴミしか入っていない。その『アマサン』はそんなにお腹が空いていたのだろうか。
「他にはないの、ってミサカはミサカはあなたに聞いてみる」
「アー……なンか新しく出てたやつ適当に突っ込んだから、ナニがあってナニがねェのかなンて分かンねェよ」
「………………ふぅん、ってミサカはミサカはそっぽ向いてみたり」
どこか上の空で答える一方通行が悔しくて、打ち止めは唇を尖らせる。別に特にお腹が空いていたわけでもないのに――何だかイライラしてしまう。基本的に一方通行は食べ物に対して無頓着なので、特に他意がないことぐらい打ち止めにも分かっている。だけれど。
(…………何だか、もやもやする、ってミサカはミサカは、)
そう心がざわついた所で、
「テメエもあのシスターもホント手がかかるなァ」
ウゼェ、と小さな声で一方通行が言うのが聞こえた。それはいつも通りの軽口なのに、変に胸の奥まで突き刺さる。

「……ミサカは甘いものが食べたい、ってミサカはミサカは外に出る支度を始めてみたり」

ポツリと唇から落ちた言葉は、自分のものながら乾いていた。ソファから立ち上がって、打ち止めはコートハンガーへ歩み寄る。
「オイ、もォ夜だろォが。子どもが出歩く時間じゃねェよ。何が食いてェのか知らねェが明日にしろ、明日」
ソファーに座ったまま振り返って一方通行が咎めてくる。甘いもの、そう言ってみたものの何か具体的に思いついたわけではない。ただ、空になった袋を見ているのが悲しかった。それは、本当は一方通行が打ち止めに買ってきてくれたはずのものなのだ。
 意地になって外に出かけようとする打ち止めに、一方通行が呆れ顔でため息をついた。そんな表情を向けられるだけで気持ちが折れそうになった打ち止めは、一方通行に言い返す。
「ひ、人をいつまでも子供扱いしないでほしいよ、ってミサカはミサカはちょっと憤慨してみる」
「食いモン我慢できねェのはガキだろォが」
飲みかけらしい缶コーヒーをテーブルに置いてから、一方通行は徐に打ち止めの横に並ぶ。さっきかけたばかりのコートを再度着込みながら、一方通行はあやすように打ち止めの頭を叩いた。
「ハイハイ、『オニイチャン』が着いてってやるから待ってろ」
どうしてその仕草にカッとしてしまったのだろう。余裕のある態度が気に入らなかったのか、それでもその表情の奥にある仕方がないなという許すような優しさが駄目だったのか。鼻の奥がツンとするのが分かった。目の端に浮かんできた涙を必死で堪えつつ、打ち止めは俯いた。自分でも理不尽だとは思う。一方通行が悪いわけではない、そんなことは分かっているのに。

 問答無用で打ち止めを守る一方通行の態度は、他の誰よりも打ち止めを優先する一方通行の行動は、出会った時からずっと変わらない。なのに自分の気持ちだけがどんどん育って、溢れて、止まらない。

 家族だと思って嬉しかったのに。その気持ちに嘘なんてなかったのに。
 でもそれでも――もう、妹じゃダメなのだ。

「…………行かねェのか」
「………………」
自分の気持が分からなくて黙り込んでいると、額に硬い感触が押し付けられる。視線を上げると、さっきまで一方通行が飲んでいたコーヒー缶が視界いっぱいに広がっていた。
「甘すぎたからもう要らねェ。飲め」
伸ばした指が、ほんの少しだけ温かさの残る缶に触れる。両手で口元まで引き寄せたものの、気づいた気持ちが缶に口をつけることを躊躇わせた。昨日までなら何も気にせず飲めたであろうコーヒーが少し恨めしい。
「飲まねェなら捨てンぞ」
「う、ううん、飲む!ってミサカはミサカは一気飲み!」
打ち止めは慌てて缶コーヒーを飲み始めた。一方通行が呆気に取られた顔でこっちを見ているのが分かる。苦味が苦手な打ち止めは、こんなに勢い良くコーヒーを飲んだことなどない。

 初めての間接キスは、味なんて全然分からなかった。


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公式の打ち止めの一方さんへの気持ちはもはや恋とか色々越えてそうですけど、年相応の打ち止めを
缶コーヒーで間接キスネタはちょっとだけやってみたかったんです、満足
裏テーマはもちろん『シスター』にヤキモチを焼く打ち止めです


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