それは甘い、甘い、密やかな――爆弾。


 今日は黄泉川と芳川が出掛けてしまっているので、久しぶりに部屋に二人きりの休日だった。大人二人は、同じ屋根の下にいる子供二人が『抜き差しならぬ』関係になりかけているのに気づいてか気づかないでか、揃って用事で夕方まで戻らないらしい。いつもなら外へ遊びに行こう、と一方通行を急かす打ち止めだが、今日は敢えてそうはしなかった。
 そうして――最初にもう一歩踏み込んだのは、自分なのだと打ち止めは思う。


「あァ?」
聞き返す一方通行の顔は苦虫を噛み潰したような驚いた表情、という実に器用なもので、打ち止めは真面目に切り出そうと思っていたのに少し笑いそうになってしまった。一方通行の表情はあんまりにも想像したとおりだ。けれど本当に抜き差しならぬ関係になろうとするなら、彼のその拒否も乗り越えなくてはならない。
「だから、その……あの、先に、進まないの、ってミサカはミサカは……」
一方通行は廊下の壁にもたれ掛りながらじっと打ち止めの方を見ていた。言葉は尻すぼみになってしまったが、さっきのリアクションを考えるに、意図はちゃんと伝わったらしい。それは最近の二人の間に流れる雰囲気もあるのかもしれない。実際に一方通行と打ち止めは決定的な言葉も行動も交わしたわけではないが、『何とはなしに』そういう雰囲気になっている。
 一方通行はやがて打ち止めから少し視線を逸らして、はぁ、とため息をつく。そして少し言いにくそうに言葉を繋いだ。
「アーその、なンだ。オマエ、その格好もしかしてなンかのつもりなのかよ?」
何か、と言うか。あからさまに誘惑のつもりだった。男の人の好きな衣装の一つに裸ワイシャツなるものがあるのはネットワークでリサーチ済みだ。いつもはこの下に青色のキャミソールを着ているが、今日はそれを身につけていない。もちろん恥ずかしいのでボタンはきっちりと留めているが、肌に触れるいつもと違う布の感触が気分を落ち着かないものにさせていた。鏡で確かめてみた時は果たしてこの格好にどれだけの効果があるのか、と首を傾げた打ち止めだが、今のこの自分のドキドキ具合と一方通行の態度を考えるとまんざら捨てたものではないと思う。
「オイ、」
「は、はい!ってミサカはミサカは勢いよく返事してみたり!」
緊張して、話しかけられただけで声が裏返ってしまう。一方通行はそのまま何も言わず、視線だけで打ち止めについてくるように促した。そろそろと何となく足音を立てずについていくと、一方通行は自分の部屋に入っていく。打ち止めが後に続いて部屋に入ろうとしたところで、顔目掛けて何かが飛んできた。声を上げて思わず手に取ると、一方通行が普段着ている細身のTシャツだった。
「取り敢えずそれ着ろ」
「……え、」
「着ろ」
有無を言わさぬ口調で言うと、一方通行はYシャツの上から思い切りTシャツを被せてくる。
「わ、わぷっ!ってミサカはミサカはあなたの強引さにちょっぴり根をあげてみる」
あまりにもぐいぐい押し付けられるので、仕方なしにTシャツをYシャツの上に着ると、もうそれだけで随分と『そういった』雰囲気は削がれてしまった。何せYシャツの上からTシャツでは不格好に過ぎる。
「………………」
「オマエなァ、ネットワークで何吹き込まれたンだか知らねェけどよォ。妙なことしてンじゃねェぞ」
打ち止めが黙りこくっていると、一方通行は呆れ顔で打ち止めの頭をくしゃくしゃとかき回した。意識的に子供を扱うようにしていることが伝わってきて、打ち止めの心のざらざらとした部分が刺激される。それが感情のささくれを増幅する。
 ――ざらざらを初めて意識した時のことを思い出す。


『……っていうようなことがあってね、ロシアではどうも危なかったみたいなの、ってミサカはミサカは報告してみたり!』
『ネットワークで既に共有している情報をなぜわざわざ伝えに来るのですか、とミサカ10501号は嘆息します』
『所謂臨場感溢れる表現で伝えたかったのでは、とミサカ13577号は指摘します』
『現地での食事に関する報告の必要性はともかくとして、番外個体に関しては直接口頭で伝えるのは賢明な処置だったのではないでしょうか、とミサカ10039号は評します』
『む、食べ物も大事な要素だよ?ってミサカはミサカは反論してみたり』
『上司の戯言は置いておいて……彼女はあの白いののどこが良かったのでしょうか、とミサカ19090号は疑問を呈します』
『? 番外個体はミサカやあの人を攻撃してきたんだよ? 良いってどういうこと?ってミサカはミサカは不思議に思ってみたり』
『愛憎は表裏一体と言いますか、というかそもそも上司自体がそうなのでは、とミサカ17203号は言葉を返します』
『確かに、憎悪は憎悪ですが、そこまで熱のこもった憎悪を向けることに番外個体の執着を感じますね、とミサカ12481号は相槌を打ちます』
『……………………』
『どうしたのですか、とミサカ10032号は気難しい顔をした上司に話しかけます』


「だって、」
手を握りこむと、打ち止めは小さな声で呟いた。
「だって、ミサカは早くあなたのものになりたい、ってミサカはミサカは呟いてみる」
ぴたり、と頭を撫でる手が止まる。声は震えて、怖くて顔が上げられない。けれど――打ち止めはそっと一方通行の服の端を握った。

 その言葉、行動の裏にあるのは、たった一つの独占欲――そして、卑怯な打算。

「……どうなっても知らねェからな」
低く言い捨てた一方通行は、彼の袖の端を掴んでいた打ち止めの手を引き寄せると、その薬指をゆっくりと口腔に含んだ。他人に指を咥えられている、というその光景の後ろめたさに目を背ける打ち止めだが、それは指先の感覚を普段より鋭敏にさせるだけだ。思ったより熱い舌がぬるりと指を撫でて、どれだけぎゅっと目を瞑ってもその行為を感覚に鮮明に灼き付けていく。
「……、ぁ……」
金縛りに遭ったかのように動かない体と裏腹に、鼓動だけがどんどん早くなっていく。壊れ物を扱うかのように丁寧に、皮膚の下にある熱を暴くかのように執拗に、一方通行の舌が薬指を這い回る。二人だけの静かなリビングに、密やかな息遣いだけが漏れ出していく。
「ッ!」
噛まれたのだ、と気づいたのは、その甘い刺激が指先から広がった後だった。血が滲むほどではなかったものの、思ったより強い力で噛まれたらしくそれと意識するとズキズキと断続的な痛みがする。思わず眉を顰めて薬指へ目をやろうとすると、こっちを見つめている一方通行と視線が合った。浮かべてしまった表情が何より雄弁だったのだろう。打ち止めの指から唇を離すと、一方通行はため息をつく。
「このくらいで涙目になっちまうオコサマにはまだ早ェよ」
「い、痛くないもん!ってミサカはミサカは……いたっ!」
不意に掴まれた薬指から痛みがじわじわと広がっていく。涙目になって俯く打ち止めに、一方通行は晒した薬指をこれ見よがしに突きつけた。
「あのなァ、俺はガキ抱く趣味はねェンだよ。オマエじゃなきゃはっ倒してンぞ」
言い終わって手を離す仕草は突き放すような振りをしている癖に、酷く酷く大切に扱われていることが分かるようなそれだ。一方通行はこういう時、打ち止めを触れてはいけないもののように繊細に扱う――まるで自分の傍に引き摺り下ろさないようにしているかのように、

 ――それが時にどれだけ、拒絶と映るのかを知らずに。

「ッ、オイ、」
手を思い切り引っ張ると、一方通行は後ろ向けにバランスを崩す。打ち止めは思い切り一方通行を引き倒すと、馬乗りになってがぶり、とその手に噛み付いた。
「ッ、」
「お揃い! ザマァミロ!ってミサカはミサカは挑発してみる!」
泣きそうになりながら大声で言うと、呆気に取られたような一方通行の顔が目に入る。彼の瞳に映った自分は丸きり子供の顔をしていて、視界に入ることすら嫌になるほどの無様さだった。思わず逃げ出すように目を逸らして体を離す。駆け出したって何にもならないことくらい分かっているのに、踵を返した足は止まらない。一方通行が追いかけてくるか確かめるのが怖くて、振り向かず真っ直ぐに打ち止めは部屋へ駆け込んだ。後ろ手にドアを閉めようとしたところで、ズキリ、とまた薬指が痛む。
「………………」
赤くなった箇所を守るようにそっと右手で握りこむ。見下ろした指の跡を確かめる前に、視界は滲んで何も分からなくなってしまった。


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ということで噛み付きペアリング編でした!
フェチくさくてすいませんね……あと何も起こらなくてすいませんね……
跡が残るぐらい噛み付くとか実際かなり痛そうだなーとは思うのですが
っていうか私、女の子が馬乗りになる話好きだなぁ……(←このサイトの別の話でもオリジナルでもやった人


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