あの人の表情が、ジェットコースターみたいに変わるのなんて、そうそう見れない、と打ち止めは思う。でも、正座は正直苦手だということも分かったので、もう一度やるかは悩むところだ。
「オイ、そこ、見えてンぞ」
玄関のドアを開けたまま固まっていたあの人の口から出てきた言葉と声は、いつもの2割り増しぐらい不機嫌だった。おかげで、ヨミカワに教えてもらった台詞を言うタイミングを逃してしまった。
「あは、あははは! だって、打ち止めったら、本気でやるとは思わなかったんじゃんよ。んでもって一方通行、あんたあの顔……!」
大声で笑っているのはヨミカワだ。イマイチ何で笑うのか、打ち止めには良く分からなかったけれど、本当に可笑しそうにしている。ヨミカワと逆の方向からもクスクスという笑い声が聞こえてきて、そっちはヨシカワだった。
「本当に面白いものを見せてもらったわね」
何が面白いものなのか釈然としないまま、打ち止めはどうして良いか分からずにおろおろする。否、正確にはおろおろしようとしているのだけれど、このミツユビとかいうらしいポーズをいつまで続けていたら良いのか分からなくて、固まったままになってしまった。
「いつまでやってンだ、クソガキ」
頭が痛い、と思ったら、叩かれていた。不意打ちだったせいか、頭を抑えると途端に痛みが増してくる気がする。ちょっと叩かれただけなのに涙目になってしまうのが少し恥ずかしい。
「うぅ……つまりどういうことなの、ってミサカはミサカは頭を抑えつつ首を傾げてみたり」
感情が色々ごちゃ混ぜになっていて、どうして良いのか分からなかった。



「だからぁ、ああいう時は例の決め台詞を言うんじゃん?」
「愛穂、2つ目まではともかく、3つ目は不味いでしょう。教育者なんだからちゃんと考えなさい」
ヨミカワとヨシカワの会話は良く分からないけれど、二人とも楽しそうだ。打ち止めは不機嫌そうな一人と、楽しそうな二人の後ろをついて歩く。本当は前を行く一方通行と話したかったのだけれど、正座した足が少し痺れていて、追いつけそうもなかった。
(うぅ……ってミサカはミサカは若干しょんぼりしてみたり)
心が落ち込むと、顔も俯きがちになってしまう。
「あれ、打ち止めどうしたじゃん?」
ヨミカワが打ち止めの歩きにくそうな様子に気づいたのか、こっちに引き返してきた。ヨシカワも足を止めてこっちを見ている――けれど、一方通行はさっさとリビングに消えてしまっていた。
「足が痺れたの、ってミサカはミサカは歩きにくい理由を主張してみる」
「あー、正座のせいか……ごめん、悪かったじゃん」
打ち止めの顔を覗き込んできたヨミカワは申し訳なさそうな顔をしていた。普段はあっけらかんとしていることの多いヨミカワだけれど、時々はこういう風に真剣な表情もすることを、打ち止めは知っている。
「平気だよ、ってミサカはミサカは言ってみる。あ、大分マシになってきた、ってミサカはミサカは心配かけてごめんなさい」
「良いのよ。もう大丈夫? 歩ける?」
ヨシカワがしゃがんで打ち止めに視線を合わせてくる。ぶんぶん首を縦に振ると、二人は少しホッとしたように笑った。何だかんだで、この人たちも結構心配性なのだ。
 仕切り直し、と言うように――でも何故かまた笑いをこらえながらヨミカワが言う。
「よし、今度は正座しなくていいとっておきの挨拶情報を教えるじゃんよー」
「……元々挨拶は正座しなくて良いでしょ」



 ヨミカワが教えてくれた挨拶は、相変わらず打ち止めが知っている挨拶と少しズレたものだった。こうなると、そもそもヨミカワが教えてくれた『大切な人を迎える時は正座してミツユビでダンナサマというのがセオリー』というのも、何だか間違ったもののような気がしてくる。と言うかそもそも――
(ねぇねぇ、ダンナサマって何、ってミサカはミサカはミサカネットワーク上で議論をぶつけてみる)
(……どこでその言葉を覚えたのですか、とミサカ10090号は逆に疑問を呈します。まさか、まさか――とミサカ10090号はありえるかもしれない想像に身を震わせます)
(これまでの上司の状況を考えるにそういった趣味嗜好に事態が転がる可能性は低いのでは、とミサカ18022号は冷静に現実的な意見を述べます)
(しかし上司の性的趣味嗜好方面への無知さを鑑みれば、クリティカルな場面に遭遇していたとしても報告がないのでは、とミサカ12481号は懸念点を述べ、不安を再発させます)
(? つまりダンナサマって何なの?ってミサカはミサカは全然進まない議論にムキーッってなってみる!)
と、言うことでミサカネットワークもあまり役に立たないのだった。



 しょうがないので、打ち止めは一方通行に聞いてみよう、と彼が寝ているソファに近づいていく。見下ろした一方通行の眠りは少し浅いようだ。いつの間にかそんなことが分かるくらいに、一方通行と一緒に過ごしてきている。それが、打ち止めには少し誇らしい。
 と――その赤い目が開く。
「あ、起きた、ってミサカはミサカはあなたに――わぷっ!」
延びてきた手に顔を鷲掴みにされる。
「近ェよ」
寝起き特有の遠慮のなさに、痛くはないものの視界をふさがれた打ち止めはわたわたと手を動かした。腕をどけたい、というよりも、何とかしてほしいという一方通行への意思表示なのだが上手く通じない。
「痛いってミサカはミサカは寝起きで頭がイマイチなあなたに手をどけるよう要求してみる!」
一方通行は手をどけないままのんびりと欠伸をしていた。べちべちと叩いてみて、ようやく視界が戻ってくる。
「ヨミカワとヨシカワは買い物に行ったよ、ってミサカはミサカはあなたに報告してみたり」
時計を見ていた一方通行に言う。つい30分ほど前、冷蔵庫を見て、ない……、と深刻そうに呟いたヨミカワは、打ち止めに留守番を頼んで出かけてしまった。今日はちょうどかさばるものを買う日だったので、人手が多い方が良いらしく、ヨシカワもそれについていっている。あァそうかよ、と興味のなさそうな声で一方通行は呟いた。このままではもう一度寝入ってしまいそうな感じだ。二度寝は良くない、と聞くし、一人ではやっぱり退屈なので、打ち止めは一方通行に話しかける。
「ねぇねぇ、『ああいう時の決め台詞』、言ってみても良い?ってミサカはミサカはあなたに聞いてみる」
打ち止めはさっき言い損ねたお迎えの挨拶を再現してみたかった。何だかんだで有耶無耶になってしまっていて、肝心の台詞を口にしていなかったのだ。
「いいわけねェだろ。ガキには早ェ」
眉を寄せた一方通行の顔は、少し驚きも混じってる。その不意打ち、という感じの顔に、打ち止めの心の端が痛む。打ち止めにとっては、一方通行は大切な人なのに、それでもまだ早いのだろうか? そんなに、一方通行との距離は遠いのだろうか?
「でもでも、そう言わずに、ってミサカはミサカは先手必勝!」

 そんなことは、ない――少なくとも打ち止めにとっては。

 精一杯の力で一方通行に抱きつくと、間髪入れずに打ち止めは言う。
「『おかえりなさい』ってミサカはミサカは言ってみる!」
ヨミカワが教えてくれた挨拶もあったけれど、するり、と口をついて出たのは、ありふれたその言葉だった。腕の中の一方通行の体が温かくて、打ち止めはにこにこしてしまう。
「『おかえりなさい』ってミサカはミサカは言ってみる!」
嬉しくて、思わず二回言ってしまった。返ってこない返事に首を傾げると、一方通行は黙り込んだまま、あさっての方向を向いていた。その横顔を見ていられるのも嬉しくて、打ち止めは飽きずに一方通行を見つめ続ける。
「………………タダイマ」
随分して、しかも少し片言に、一方通行は答える。その言葉が聞こえた瞬間、打ち止めは胸が一杯になってしまった。

 挨拶とは、こんなにも満たされるものだったのだろうか?
 ――きっと、そうなのだ。
 だって初めて言った『いただきます』も皆で交わした『ごちそうさま』も、打ち止めには、宝石のように輝く、大事な思い出になっているのだから。

「嬉しいな、ってミサカはミサカははしゃいでみる! これからは帰ってきたら毎日言うね、ってミサカはミサカは、」
「いらねェっつの」
遮るようなつっけんどんな声も、どこか照れた雰囲気を残す表情では説得力がない。一方通行から、ふわり、と、同じシャンプーの匂いがした。それもまた嬉しくて、打ち止めは一方通行の体に回した腕に力を込めた。


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たのしいごあいさつ:打ち止め編
打ち止めは一方通行さんと少しズレた考えをして、驚かせると良い
打ち止めは無邪気に一方通行さんを慕って毎日困らせると良いんだ!
どっちかって言うと色々深読みしすぎなのは一方通行さんですね

お風呂かご飯か私の三択はいつか打ち止めに言わせようと思います


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