目を覚ましてまずしたのは、手を伸ばしてあるはずのない感触を――一瞬だけ抱きしめられたあの小さな体を確かめることだった。当然、傍らにいない彼女に触れることは出来ず、残ったのは宙を切る感覚だけ。それが気分を虚しくさせて、知らず拳を握った。途端、痛みが体中をかけ巡り、存外傷が深かったことを思い出す。
 最初の数日はそれで過ぎた。思うように動かない体より、彼女の姿が見えない方が勘に障った――だから、体を起こせるようになった時、その電話番号を呼び出すのを躊躇わなかったのは、仕方がないことだったのかもしれない。


 夜中だと言うのに、短い呼び出し音の後、懐かしい声がした。
「も、もしもし……?」
声が少し震えているのは、半信半疑だからだろうか。実際、離れていた時間は長いとは言えなかったが、連絡一つしなかったので、今更電話をしたところで訝しがられるのも無理はない。
「よォ」
どう言って良いか分からずに口にしたその言葉は思ったより素っ気なく響く。それでも、打ち止めの恐る恐る返す声が聞こえた。
「あくせられーた……?」
「他の誰だってンだよ」
言うと、ほっ、と打ち止めが息を吐くのが分かった。それを聞いて、電話を握っていた指から余計な力が抜ける。知らないうちに緊張していたらしい。
 一方通行は空を見上げた。あちこちのビルの光が邪魔をしてお世辞にも星が鮮明に見える、とは言い難かったが、最早慣れきってしまった学園都市の夜景は、それだけでどこか一方通行を安心させる。病院の中では電話をしないものだ、という、とうの昔に失ったはずの倫理観のようなものが、一方通行を屋上へ誘っていた。消灯時間をとっくに過ぎているからか、そろそろ寒くなり始める時期だからか、屋上に他の人影はない。
「………………」
名乗ったは良いが、話すタイミングが掴めなくなってしまった一方通行は黙り込む。この数日ずっと電話をしようと思っていたのだから、何かしら話すことがあるはずなのに、いざかけてみると何も思い浮かばない。すると、打ち止めがいつもの明るい調子で聞いてきた。
「もう大丈夫なの?ってミサカはミサカは聞いてみる」
「あァ? ……まァな。動くのに支障はねェ」
杖を握る右手も携帯を持っている左手も、問題なく動く。杖に預けている体重もいつもとほとんど変わらないので、足の方も大分回復しているはずだ。
「そういうこと聞いてるんじゃないんだけどな、ってミサカはミサカはあなたに呆れてみたり」
ふふっ、と妙に大人びた声で打ち止めが笑った。

 それから他愛ないことを少しずつ少しずつ話す。お互いのことを聞くよりも、黄泉川や芳川、ミサカネットワークなど、二人に共通した誰かについての方が、話が弾むのがどこか滑稽だった。

 やがて、それも一巡してしまい、一方通行と打ち止めはどちらともなく息を吐く。
「……ちゃんと体治してね、ってミサカはミサカはもう一回念を押してみる」
打ち止めは同じことを繰り返す。もう、話題は尽きている。元々そんなに長くは一緒にいなかった二人の間には、話せることなど多くない。一度沈黙が電話を支配してしまえば、もう何も続かない。
「………………、」
それに耐えかねて、そろそろ切るぞ、と言いかけたところで、小さなしゃっくりが聞こえた。それは途切れ途切れに、やがてだんだん強く、一方通行の耳を刺す。
「さ……さみし、い……」
呟くような声が、耳朶を打つ。鼻を啜るような音がして、それが一方通行に打ち止めの状態を確信させる。

 思えば、あんなに酷い目に遭ってきた彼女は、それでも泣き言一つ零さなかった。
 今だって、一方通行に肝心なことは、何一つ聞かない。
 けれど――

「さみし、い……、」
子供相応の泣き声は、けれど押し殺すように掠れていて、心を枯らせるように必死に大人びようとしている。けれど、零れ落ちた言葉は、消えない。それは鮮やかに気持ちを上塗って、増幅させる。
「さみ、しいよ……」
堰を切ったように、打ち止めは繰り返した。
「今どこにいるの、どうして何も言わずにいなくなっちゃったの、危ないことしないで、って……全部、全部ミサカの我侭だって、わかってるよ……ミサカはミサカは……、」
目元を拭ったのか、くぐもる様な耳障りなノイズが漏れる。そしてそれをかき消して、でも、と言うかのような、一際大きく息を呑む音がして、
「あい、たいよ……っ」
そう、打ち止めが叫ぶように言うのが聞こえる。あとは啜り泣くような嗚咽だけだった。

 携帯電話を握る左手に力が籠もる。それに反比例するように、杖を握っていた右手から力が抜けていった。だが、体のバランスが崩れたのはそれだけが理由ではないだろう。

 彼女を泣かせるのは、ネットワークに対する夥しい負荷でも、壊れてしまいそうな表の世界でもなかった。
 それは、ただ――一方通行が傍らにいないという、たったそれだけのこと。

 がしゃりと音をさせてフェンスに背を預ける。馬鹿らしかった。あまりにも馬鹿らしくて、自分のことを殴りたくなった。何のことはない、彼女の愛する世界には、こんな悪党も含まれているのだ。あの時、確かに腕の中にあった体温を思い出す。確かに抱き止められた細い腕を思い出す。もしも傍らに打ち止めがいたら、きっと迷わず引き寄せていた。つまりは、単純な衝動だ。今、何もかもを引きずり込むように、溺れさせるように、湧き上がってくるこの想いは。

 泣かせたくない、守りたい、傍にいたい――それが何故なのか、なんて、答えは決まっている。

 ずるずると見っとも無く床に座り込んで、空を仰ぐ。杖を離した右手の甲で瞼を覆うと、目頭が熱くなっているのが分かった。こんな気持ちになるのは、何年ぶりだろうか。もしかしたら、生まれてこの方なかったかもしれない。
「……待ってろ」
「……っ、な、……に?」
「待ってろ」
会いに行くから、とは言わなかった。それでも、電話の向こうで打ち止めが頷く気配がする。ただそれだけで満たされた気持ちになるのが分かる。馬鹿になったような、単純さ。それが可笑しくて噛み殺すように笑う。

 あぁ、でもだからきっと、恋に――溺れると言うのだ。


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15巻ラスト直後妄想なんだぜ……も……妄想は自由! フリーダム! 許して!
かまちーはちゃんとこの部分を一部も漏らさず埋めるべき
個人的な希望としては、一方さんには(思ってても)簡単に好きだとか愛してるとか言って欲しくないので、
うちのサイトにしては大変珍しい作品です
ところで、かまちー的にこの二人はちゃんとカップリングなのか……まだ微妙に不安です
合法ロリまでやらかしているかまちーには普通ロリぐらいどうってことないと思いたい


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