渋い表情で店長が顔を上げるのを、俺は神妙な態度で見ていた。
「……この時期に辞められるのは痛手なんだがな」
「……ハイ、」
「最初の頃は全然使えなかったが、今じゃもううちの要はお前だ。正直居ないと回らない……が、」
バサっと俺の書いた辞表を机の上に投げ出して、店長は仕方がない、と口元を緩めた。
「まぁトラウマになる気持ちもわかる……ちょうど人手が足りなくなってる店があったはずだ。そっちへ行ってみるか?」
「……店長……、」
俺は泣きそうになるのを唇を噛み締めてやり過ごす。店長は小さく笑みを浮かべていた。
「辞めたいわけじゃないんだろ、お前」
そうだ、俺は辞めたいわけじゃない――ただ、あの白い悪魔から逃げたいだけなんだ。



***
 何でこの店で働いてるのかって? そりゃ目の保養だ、目の保養。俺のバイト先は若い女の子に人気があるカフェだ。近くに幾つか高校があるだけあって、夕方は女子高生で満杯。テーブル席からカウンターまでキャッキャウフフな歓声だらけ。いや実際、ケーキ見て目を輝かせる女の子を見てるとこっちまで幸せになってくるわけで、ヤマシイ気持ちは何もないですよ?
 逆に昼時はというと、それなりに空いている。メインターゲットが女子高生やら仕事帰りのOLやらなので、昼は滅多に混まないのだ。近所の奥様達も買いに来るし、それはそれでオイシイのだが。そんなわけで麗らかな昼下がりに働いてるのは基本的に店長と俺一人。
 そう――あの日も俺は一人で働いてたんだ。



 カランカランと待望のベルが鳴って俺は顔を上げた。危なかった、夢の世界へ旅立っちまうところだった。今日は店には閑古鳥が鳴いていて、午前中のお客はゼロ。俺はせっかくやってきたカモ――じゃなかった、お客を捕まえておこうと営業用スマイルで振り向い――てそのまま笑みを凍らせた。
 客は二人連れだった。片方は10歳くらいのちんまい女の子――お嬢ちゃんっていうのピッタリなチビッ子だ。だがもう一人が良くなかった。どう見てもカタギじゃない……何だその白髪! オシャレなの!? 何だそのビジュアル系も真っ青な赤い目! 流行ってるの!? ツッコミどころが多すぎて俺は立ち尽くしてしまった。何この兄妹……似てないにも程があるだろ。
「閉店中……?ってミサカはミサカは聞いてみる」
案内もせずにぽかんとしてたのが良くなかったのか、チビッ子がこっちを見上げて聞いてくる。慌ててスマイルを取り繕って俺は席に案内する。普段なら人が入ってることを見せつけるために窓側に優先的に案内するんだが今回は止めておく。こんなおっかないその筋のお人を窓際なんかに座らせてみろ、人に目撃されたが最後アレコレ要らぬ噂が飛び交っちまう。
「桜ぱふぇー!ってミサカはミサカは宣言してみたり!」
「コーヒー」
注文を取りに行くと、両者対照のお答えだった。



 当店自慢のパフェは時折季節限定メニューを出している。桜パフェもその一つで、特製の桜アイスをふんだんに使った一品だ。チビッ子、こいつぁ人気商品だぜ? 夕方に普通に来たら売り切れてるところだ、良いチョイスしたな。そう心の中で思いながら気持ちを落ち着ける。店長には可能な限り丁寧にコーヒーを入れてもらったが、不味い! 店員を呼べい!となったら最後、何をされるか分からない。
「お、おあたせしましたッ!」
緊張のあまり若干噛んでしまった。何だ、と言わんばかりに向けられる視線が怖い。スイマセン! 噛んでスイマセン! こっち見ないで下さいッ! 怖いですッ! そう思いつつ、俺はコーヒーと桜パフェをサーブする。
「いっただっきまーす!ってミサカはミサカはスプーンをサックリパフェに入れつつ……んー! 美味しい!」
「……」
あからさまに喜ぶチビッ子、一方の強面の方は……無言。沈黙が重すぎて俺は退避先の少し離れた厨房で頭を抱える――とそこでチビッ子の声。
「良かったね、ってミサカはミサカは喜んでみる」
「なンでだよ」
「あなたが美味しいもの食べたときの顔してるから、ってミサカはミサカは言ってみたり」
さっき一口啜った時のことだとしたら、表情なんぞ全く変わったように見えませんでしたが……このチビッ子も相当なもんだな、と俺は思った。



 しばらくして、水をサーブしに行こうとした俺の目にとんでもない光景が飛び込んできた。
「はいあーん、ってミサカはミサカはあなたにスプーンを向けてみたり」
「あァ?」
おいおいこのお嬢ちゃん、命知らずにも程がある。案の定差し出されたスプーンはガン無視だ。一生懸命チビッ子はそのポーズを保ってるが、腕がぷるぷる震えてるのが分かる。いや、っていうかアイス! アイス溶けかけてる! 俺がうわぁ、と思いながら観察していると、スプーンから顔を背けた本職のお方と目が合った。こっち見んなと言わんばかりの眼力に俺は慌てて目を逸らす。だって仕方ないだろ! 客はあんたたちしか居ないんだし! 俺店員。お客様をフォローする義務があるの!
 俺は慌てて水をサーブすると、その場を離れる。静かな店内に響くチビッ子の声。
「おいしーい?ってミサカはミサカは聞いてみる」
ナンテコッタ、音しか聞こえなかったけど確実にスプーンであーんをやった後の台詞だ……今振り向いたらまず俺は死ぬ。だが、その後の展開に俺はあんぐりと口を開けてしまった。
「アホ、」
犯罪者が思いっきりチビッ子の口元についたクリームを舐め取っていた――それもごく当然かのような顔で。見てはいけないものを見てしまったことを俺は後悔する……何で俺は偶然窓ガラスを見てしまったんだ……何で世の中には反射があるんだ……。どうしよう、もうまともにあのお客を見れない。ぼんやりと兄妹だと思ってたが、それはどこからどう見ても恋人の行動だった。
 俺が震え上がっていると――窓ガラス越しに赤い目と視線が合う。その瞬間の、驚愕に見開かれた目。あ、しまった――俺は自分の行動がバレたことを悟った。見る見るうちに危険な色合いになる悪魔の顔。俺は慌てて厨房に引っ込んだ。そのままガタガタ震えて縮こまる。あぁヤベェ……俺は普通に死ぬかもしれない。
 二人が食べ終えている頃になっても俺は動けなかった。食器を下げに行くのが拷問に近いミッションに感じる。
「会計」
そう件の男が言う声が聞こえて、俺はトイレに篭った。流石にトイレに入っている時は代わりに店長が会計をしてくれるのだ。しばらくしてトイレから出ると、さっきのお客は店を出たところだった。
「ようやく今日一組目か……」
店長が呟くのが聞こえた。そう、一組目が帰った……俺はもう怯えなくて良いのだ! 思わずガッツポーズを取って店長に話しかけようとすると、気難しい店長が珍しく笑っていた。店長は、俺に言い聞かせるように独り言を呟く。
「美味しかったからまた来るとさ」
あぁ……また来るのか、俺はその瞬間死を覚悟した。



***
 新しいバイト先はそれなりに快適だった。今度は女子高生は少ないが、代わりに近くの団地の奥さんたちが結構な頻度でケーキを買いに来る。うむ、女子高生の若い雰囲気も良いが、団地妻の成熟オーラも負けてない。やっぱりケーキ屋のバイトは天職だなぁ、と俺はしみじみ思う。
 と、入り口に人影。俺は営業用スマイルで振り返る。
「いらっしゃいま――」

「オイ、またこンなンかよ……」
「ネットワークで美味しいって評判なんだよ?ってミサカはミサカはあなたの手を引っ張って案内してみたり!」


 白い悪魔との再会は――すぐのことだった。


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もう一個考えてた方のやつ、モンスターペアレンツとかけてモンスターラバー
はた迷惑な恋人という意味の造語ですが……はた迷惑なのはもやしだけだなので単数形に
店員さんが上条さんばりの不幸ですね、分かります


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