飴と鞭、または馬に人参――つまり分かりやすく言うと、彼女にご褒美。


 教科書に目を通していた視線を少しだけ外すと、机にベタッと突っ伏している打ち止めの姿が見えた。少し目を離すとすぐにこれだ。
 一方通行は右手で彼女の頭にチョップを食らわせる。四角いテーブルの向かい側に居る彼女は、痛い、と呻くような声を上げた後涙目でこちらを見上げてきた。
「す、すぱるた反対!ってミサカはミサカは抗議の声を上げてみたり!」
「ちったァ集中してから言えよ、クソガキ」
真っ白なノートを指さして言うと、途端に打ち止めは黙りこむ。もう1時間もこうして付き合ってやっているのに、問題集はまだ数ページしか進んでいない。
 いつ学校に通い始めても良いように勉強したい、と言い出したのは打ち止め本人だった。やる気もあったようで、筆記用具とノート、それにどこから借りてきたのか問題集まで用意していた。それはほんの少し前のことだったはずなのに、今や目も当てられないような惨状だ。
「ご、ごほうびがないと頑張れない……ってミサカはミサカは言い訳してみる」
「ゴホウビかよ」
何をガキくさいことを、と思いつつ、実際打ち止めは子供なのでどうしようもない。駄々をこねる打ち止めに、一方通行はハァ、とため息をついて立ち上がった。
「ふぇ、もうちょっと頑張るから呆れないで、ってミサカはミサカは、」
「阿呆」
一緒についてこようとする打ち止めの額にデコピンを食らわすと、大人しくしてろ、と言い含める。そのまま向かった先のキッチンには、まだ食べ終わっていない飴の大袋があるはずだった。



 ――数十分後。
「……こ、このドリルは難しすぎると思うの、ってミサカはミサカはグチってみたり……」
「アー、聞こえねェなァ」
言いながら、一方通行は袋に入った飴をまた一つ取り出して口に含む。そんなに量はなかったとは言え、食べ続けていた口の中の甘ったるさは尋常ではない。
「っつーか、さっさと全問正解しろってンだよ。いい加減俺もこの甘ェの飽きてンだぞ、クソガキ」
「全問正解っていうのがハードル高すぎってミサカはミサカは……」
ぐぬぬ、と言わんばかりに鉛筆を握り締めて震える打ち止めを見ながら、一方通行は口内の飴を舌で転がす。メロンだろうがイチゴだろうが、所詮は同じ飴なので味に底まで大差はない。それどころかさっきから舐め続けていたせいで、その僅かにあったはずの味の違いすら分からなくなっていた。
(甘ェ……)
ガリガリと歯で飴を噛み砕いて、時計を見る。既にこのバカなやり取りを始めてから2時間ほどが経過していた。
「もう次が最後だ、イイ時間だしこれで終わンぞ」
「え、えぇ!? 心の準備が終わってないよってミサカはミサカは、」
「煩ェ、さっさとやれ」
言ってストップウォッチをスタートさせると、打ち止めは慌ててドリルにとりかかる。うんうん言いながら問題を解いている打ち止めを見て、一方通行は少しだけ目を細めた。
(…………まァ、最後くらいはイイだろ)
さっきまで若干スパルタ気味の時間設定にしていたのだが、流石に最後の最後までそれだと可哀想にも思えてくる。一方通行は表示されたデジタルの数字を見て、開きかけた唇を閉じた。

 そして――
「……オマエ、なンでできねェンだよ」
「……だ、だって難しくて、ってミサカはミサカはごにょごにょ……」
時間を少し余裕目に取ったにも関わらず、打ち止めの採点結果は散々だった。ケアレスミスというより根本から公式を理解していない答えの数々に、一方通行の眉間に皺が寄る。オマエなぁ、と小さく呟いて一方通行は赤ペンをテーブルに置くと、飴の袋に手を伸ばした。
「が、頑張ったからミサカにもちょうだいってミサカはミサカはお願いしてみたり!」
「アホか、そンなンゴホウビもクソもねェだろォが」
そう言って、一方通行は最後の飴を口の中に放り込む。
「あーーーーー!」
「クソ……甘ェな、」
文句をブツブツ言いながら口の中で飴を転がしていると、急に服の襟が引っ張られた。バランスを崩して慌てて手をつくと――目の前に大きな茶色の瞳がある。唇には唇の感触。

 そうして、口の中から転がり出ていく、飴玉一つ。

「ん、確かに甘いね、ってミサカはミサカは笑ってみたり」
打ち止めが、至近距離で笑っていた。


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分かってます…本当は口移しってすごく難しいんでしょ?
だ、大丈夫もやしのテクなら歯とかぶつけずに何とかなると思うの…多分…


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