――光の世界で生きて行くならば、絶対に避けて通れないこと。


 頭に向かって飛んできたそれを、避けるのは簡単なことだった。それを敢えて避けなかったのは相手の理由が察せられたからだ。パカン、と小気味の良い音がして、空き缶が地面を跳ねていく。飛んできた方向に視線を向けると、何故だか当てた相手の方が信じられない顔をしていた。
「…………ひっ、ひひひ人殺し!」
思わずといった様子で相手が口にしたのは、完全なる事実だった。上塗りしていった赤い絵の具のどこを言ってるのか分からないくらいに、積み重ねてきた過去。これまでこういうことは何度かあって、その度に相手の瞳の色を読む癖がついていた。
(…………本物、か……)
眼の色が違う。揺らぐ視線も違う。聞こえてきた言葉遣いも本物で。

 つまりは目の前に居る誰だか知らない人物は、一方通行に復讐する権利を持っている奴らしかった。

「ひっ……」
目を合わせただけで、相手は喉の奥から搾り出したかのような声を上げる。殺される、とでも思っているのだろうか。後ずさりながら、それでも相手は視線だけは外さない。こちらを恐れる気持ちと憎む気持ちが綯い交ぜになったような、ドロドロとした感情が渦巻いていた色をしている――それは、これまで浴びてきた幾つもの視線と酷く似ていた。
(……チッ、)
自分の人相が良いとは思っていない、それでも多少は穏やかな顔を出来るようになったつもりだった。愛想笑いの一つでも浮かべていれば良かったかもしれないが、生憎ともうそういうレベルは終わってしまっている。
 試しに一歩だけ足を踏み出してみると、相手は引きつった声を上げて、そのまま脇目もふらず逃げ出した。追いかけるように路地裏から出たところで、人にぶつかる。謝ろうと振り向いたところで、そそくさと顔を背けられる――それで、一方通行は諦めて歩みを止めた。
(あくまでつもり、程度だったってことかァ)
例えば不穏な空気だとか、例えばふとした仕草だとか。そういったものからきっと漏れてしまっているのだ。誤魔化しきれない匂いが、追ってくる過去が絶え間なく耳元で非難の声を上げる。

 曰く、人殺し。
 曰く、ヒトデナシ。

 どれもが否定しきれない事実だ。その囁きを時に無視したり時に利用したりしていたが、結局いつまで経っても消える気配はなく、最近になってずっと一生をかけて付き合っていくしかないのだと一方通行は悟っていた。
 一つ、ため息をついて歩くのを再開する。それら全てをないがしろにするつもりはないものの、いつまでも立ち止まっていても仕方がない。それを吹っ切った、無責任、と人は言うかもしれないが、自分にも譲れないものがある――と、
「あ、みーつけた!ってミサカはミサカはあなたの腕をぎゅっと抱きしめてみたり!」
囁きを打ち消すような明るい声と、背後からの衝撃。暖かな腕が自分の腕に絡みつき、意識を現実に引っ張り戻す。見下ろすと、いつも通りの笑顔が自分を迎える。
「あンま勢いつけンな。こーれーがー見えねェか、クソガキ」
背後からタックルを決めた打ち止めに杖を掲げてみせると、彼女は少しだけ俯いてごめんね、と返した。それ以上説教をするのも面倒だったので、一方通行は腕を絡ませている打ち止めを半ば引きずるようにして歩き出す。しばらくして、打ち止めがくいっと袖を引っ張ってきた。
「なンだよ?」
「ううん、ただ……」
打ち止めは言葉を止めた後、ちょいちょいと手招きをする。屈め、という合図に見えたので従うと、打ち止めはこちらに手を伸ばしてくる。その掌が、頭のてっぺんに触れた。
「あなた、ミサカの手を振り払わないから。何か辛いことでもあったのかなぁ、ってミサカはミサカは良い子良い子、ってしてみたり」
心配そうな目と、何かあったのと問いかけるような表情が痛い。けれど視線だけで何でもない、と答える。納得してない顔の彼女を見ていたくなくて、一方通行は体を起こして再び歩き出した。

 今はまだ、彼女に語ることはできないけれど。

 非難される準備はできている、けれど諦めない準備だってまた出来ている。
 それは――光の世界で生きて行くならば、絶対に避けて通れないこと。


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新約2巻読んでて、何となくもやしはその辺りの覚悟を決めたのかなぁ、と
日常の世界に溶け込む気ならば、どのツラ下げてって自分が一番思っていることと、
ずっと付き合うことを決めたってことですものねぇ…
個人的にはそういう前の向き方は好ましいです




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