話しかけられた一瞬、その言葉が理解出来なかったのは、耳に届いたのが慣れた日本語ではなかったからだ。そして、今の自分達に話しかける輩から『敵意のない』挨拶をされるとは思っていなかったからだ。
「Здравствуйте(こんにちは)」
繰り返されたのは、そんな在り来りな挨拶だった。振り返ると老人が一人、こっちを見ている。服の中の銃を確かめる。距離は――3メートルほど。まず外さない距離だ。相手が複数だとしたら少し厄介だが、ここから隠れられる場所を考えると――そこで、声をかけられることで生まれる一瞬のタイムラグを嫌った一方通行は頭の片隅にロシア語を引っ張り出してくる。
「そんな格好で家出かい?」
相手は一方通行の緊張を特に気にすることもなく無造作に近づいてきた。咄嗟に、しかし慣れた動作で一方通行が銃に手をかけたのと、
「誰かな、このおじいさん……って、何で臨戦態勢なのあなたは!ってミサカはミサカはあなたの喧嘩っ早さを嗜めてみたり!」
打ち止めがそう叫んでその手にチョップを食らわせたのはほぼ同時だった。
 雪の中へ愛用の銃が転がり落ちる音がした。


 どうやら老人に他意はなかったらしい。銃を持った少年と変な喋り方の少女の二人連れ、という如何にも怪しい風体も気にした様子なく、老人は、村へ案内する、と言い出した。時刻は夕暮れ時で、確かにそろそろ宿が必要な時間帯ではあった。正直あまり気乗りはしなかったが已むを得ず、一方通行は打ち止めを連れて老人の後ろを歩いていた。
 やがてぽつりぽつりと家の明かりが見え、雪の上の足跡が増え始める。老人が言った通りそう遠くはなかったが、しかしこの雪に染まった視界では、余所者にはなかなか辿り着けないに違いない。目につき始めたちらほらと辺りを歩く人々も、恐らくはこの村の住人なのだろう。老人同様、どこかのんびりとした様子で家路をたどっていた。
「取り合えず、温かいものでも出そうか」
殺風景とは言わないが、明らかに一人分しか荷物のない家へ二人を招き入れた老人は、椅子を薦めた後、奥へ引っ込んでしまった。いつもの癖で部屋の中を確認し始めた一方通行に対して、すっかり寛ぎモードの打ち止めは、椅子に座って足をぶらぶらさせている。窓の外を見てどのくらい視界を遮る建物があるか確かめながら、一方通行はどこか暇そうな顔をしている打ち止めを敢えて無視した。『こういうこと』は始めが肝心であることを、一方通行は知っている。満足に動くことが難しい一方通行にとって、判断の早さだけが唯一の武器だからだ。数分間、黙々と一方通行は部屋の状況を把握し続ける。
「……ねぇねぇ、」
話し相手がいない状況に耐えられなくなったらしい打ち止めがそう何か話し始めたところで、バン、と唐突にドアの開く音がした。
「あらあらあらあら、可愛い子ね!」
「本当に……お客さんなんていつぶりかな」
「わ、こっちの子、白いわ」
わらわらと集まってきたのは、恐らく村人だろう。老人の家に押しかけてきた集団の中には、さっき見かけた顔もちらほらと混じっている。その数は十数人ほど――囲まれては厄介な人数だ。一方通行の体は、慣れた緊張感を取り戻す。――が、
「随分と体が冷え切っているわね」
「家にスープが余っていたはずだから持ってこようかしら」
「あ、そう言えばお前、あれが残ってたじゃないか。あの、ホラ、町に行った時の」
「あぁ、アレね!」
途切れることのない平和な会話に、その殺気は見る見るうちに削がれていく。
「…………ドアくらい閉めろ」
グダグダわいわいと緊張感のない様子で騒いでいる村人たちに、一方通行はため息をついた。

 村人たちは本当に余所者が珍しいらしく、質素ではあるが下にも置かないもてなしぶりで打ち止めをかまっていた。一方通行も最初は声をかけられていたが、面倒そうな固い態度で色々と断り続けているうちに、疲れているのだろうと判断されたらしく、そっとしておかれるようになった。大いなる勘違いではあるのだが、それを訂正する必要性も感じなかった一方通行は、打ち止めや村人たちと少し離れたソファに座って、何とはなしにその様子を眺める。
 かちゃり、と音がするのに釣られて目の前のテーブルを見ると、温かな紅茶がカップの中に湯気を立てていた。戻ってきた老人はそのまま一方通行の隣のソファに腰を下ろす。どうやら一方通行と同じで、輪の中に入る気はないらしい。出された紅茶を啜っていると、たくさんお菓子を貰ったらしく両手の塞がった打ち止めと目が合った。嬉しそうにニコニコした彼女は、また別の人間から話しかけられて何か答える。
「…………不安かな?」
「あァ?」
目を細めた老人が言う。一方通行は頬杖をついたまま、視線だけを老人に移すと不機嫌に返した。老人の視線は人々に囲まれた打ち止めに向いている。色んな人間から頭を撫でられ食べ物を与えられてニコニコと応対している打ち止めは、皆から可愛がられているという表現がぴったりだった。一組の夫婦から帽子を貰ったかと思えば、別の老女から手袋をプレゼントされている。このまま行けば優に一週間は着回せるくらいの衣服が手に入ることだろう。子供をほとんど見かけない村だっただけあって、ただガキだと言うだけで歓迎されているらしい。
 警戒を緩めたわけではない。だが、あんなに楽しそうにしている打ち止めを見るのは久しぶりのことだった。逃避行と言うのは常に緊張を強いられる。特に何も言ってはいないが、それでも打ち止めは一方通行の態度でそれを感じ取っていたに違いない。

 ――結局、逃げてきたところであんな風にあの子供を笑わせられるのは、きっと平和な日常なのだ。

 一方通行はそれを分かった上で毒づく。
「別に。あのクソガキだけ避けてお前ら全員ブッ殺すぐらいワケねェよ」
「………………違うよ。わしが言ってるのはそういうことじゃない」
ゆっくりとした動作で頭を振った老人は、思い出したように呟く。一方通行の物騒な物言いにも、老人が動じた様子はない。思えば雪の中に銃を落とした最初から、この老人が余裕をなくしたことなどなかった。だが、本来ならば不気味に感じられるであろうその態度も、何故かこの老人だとそういった印象を受けない。
 一方通行が黙り込んでいると、ふっと老人は笑った。
「まるであの子が傍にいないことを、不安に思っているようだからね」
一瞬虚を突かれて、一方通行の思考が止まる。
「……ナニが言いたいンだよ?」
「人間誰しも離れ難いものがある、ということさ」
亡くしてからでは遅いからね、とどこか遠くを見るような目で老人は付け足した。その真意を計り兼ねていると、視界の隅に入っていた打ち止めが足取りも軽くこっちに向かってくる。
「ねぇねぇ、似合うかな、ってミサカはミサカはあなたの前でくるっと一回転してみたり!」
「…………あァ?」
モコモコとした服に身を包んだ打ち止めは期待に満ちた顔で一方通行を見上げてくる。暖かそうだということ以外、特に感想も思いつかなかった一方通行が視線を外すと、打ち止めが怒ってぽかぽか一方通行に殴りかかってきた。
「だーかーらー! 似あうかな、ってミサカはミサカはくるっと一回転半してみる!」
「オイ、それだと後ろ向いちまうだろォが、クソガキ」
いつも通りのツッコミを入れてから、一方通行は振り返って老人を見た。だが、さっきと違って老人からはもう何か語ろうとする様子はない。ただ意味深に微笑しているだけだ。
「…………」
一方通行は舌打ちをすると、打ち止めの頭をくしゃりと撫でる。
「わわっ、ってミサカはミサカはびっくりしてみたり。どうしたの、ってミサカはミサカはあなたの心境の変化の原因を尋ねてみる」
「なンでもねェよ」
彼女が手に持っていた毛糸の帽子を乱暴に頭に被せると、わぷっ、と打ち止めが戸惑いの声を上げた。それを無視して、一方通行はもう一度打ち止めの頭を撫でる。
(…………)
心底面倒くさそうな表情を僅かに覆っている感情――それを不安と呼ぶことに、一方通行は気付かない振りをした。


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ごめんなさい……ロシアで老人に会わせたりしてごめんなさい
本編捏造ごめんなさい……実際は若くて日本語喋れる変わった人たちに会うか、
いつも通りのメンバーと顔を合わせるかだと思うんですけどね
学園都市最強の一方さんは学園都市最高の頭脳をお持ちなのでロシア語ぐらい堪能だと思いますが、
サカザキさんはロシア語とか出来ないので皆気にしないで元気に脳内変換よろしく!


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