あの人は、どんなに傷ついても、どんなに辛そうでも、立ち上がる。
 それは――どうしてなんだろう?

***
 一方通行は手の甲で唇の端を拭った。僅かな鉄の味が口腔に広がっていく。未だに喧嘩には慣れていない、だが殺し合いにはもう慣れていた。殺さないように加減をしなければならない人間など普段は相手にしないところだが、打ち止めが絡むとなると話は別だ。どんな小さな悪でも、どんな大きな悪でも、容赦はしない――出来ない。
「……終わったの、ってミサカはミサカはあなたに聞いてみる」
「あァ」
あまり血生臭いところを見せたくはなかったが、事態が事態だった。男を蹴り上げて道の端に転がすと、一方通行は打ち止めの手を取ってさっさと路地から抜け出す。ほんの少し近道をしようとして入った薄暗い通りは、どうやらあまり『素行のよろしくない』連中の溜まり場だったらしい。一方通行の顔と手にした杖を見て襲いかかってきただけなら良かった。昔締め上げた輩なのか、どこか裏の事情を知って一方通行を捕えようとしたのか、それとも単にテリトリーに踏み込んだ奴には制裁を加えるのが掟なのか。男の事情など知らないが、襲ってくるに足る理由があるのだろうから仕方がない。だが、返り討ちにした後に打ち止めを人質にしようとしたのはやりすぎだった。
「ごめんなさい、ってミサカはミサカは謝ってみる」
「ナニがだよ?」
「……だって、」
大通りまで出たところで、歩を緩めた打ち止めは視線を落とす。その小さな足に赤い擦り傷が走っていた。さっきよりも赤の色が深い。家までの距離はそう遠くはなかったが、靴擦れが歩く度に酷くなっていくのは目に見えていた。だから、それだけのことだ。
「別に……単に気に入らねェから殴っただけだ」
それがただの言い訳であることを、打ち止めも分かっていただろう。だからこそ、それ以上何も言わずに打ち止めは今度は一方通行の真横に並ぶ。できるだけ近くに、はぐれないように。
 帰り道で交わした言葉は少なかった。



 真夜中の月明かりだけを光源とした洗面所であっても分かるくらいに、鏡に映った体には青痣がいくつか浮かんでいた。どうするか迷っているうちに何発か食らってしまっていたから予想できたことではあったが。一方通行はため息をついてたくし上げていたシャツを下ろす。
(……判断が甘ェな)
不景気な顔の自分に向かって心の中で呟く。あの男がどういう類の人間だったのかは分からなくとも、確かな害意を向けられていたことや打ち止めを連れていたことからどうなるか予想すべきだった。能力を使える時間に制限がある以上、否そうでなかったとしても、適切な状況判断は必要だ。なぜなら、一方通行には守るべきものがあるのだから。
 舌打ちをすると、切れた唇の端が痛む。
「……痛いの?ってミサカはミサカはあなたに話しかけてみる」
振り返ると、いつの間にか打ち止めがドアの辺りに立っていた。俯いていて表情は分からないが、とてもいつもの通りの明るさとは言い難い。昼間のことを気にしてるのだろう、それくらいは他人の感情に疎い一方通行でも想像はつく。
「眠れねェだけだ」
素っ気なく返すと、一方通行は打ち止めの横をすり抜けようとして――
「あなたが助けたいミサカって、一体誰のことなの?ってミサカはミサカは聞いてみる」
その言葉が、頭を一瞬で真っ白に塗り替えた。足が止まる。思考も、止まる。緩慢な動きで見下ろした少女の目は、まるでガラス玉のように透き通って無感情だった。目の前にいる少女が、とてもとても遠い存在に思える。ごくり、とカラカラに干からびた喉が音を鳴らすのが聞こえた――それが、自分のものだと気づいたのは数瞬の後。
「……ミサカはね、」

 それは、誰にも合わないガラスの靴。
 そんなものを後生大事に抱えたところで――きっと誰も手に入れられない。

「あなたが傍にいてくれたら良いんだよ、ってずっとずっと言ってたよね。けど、あなたはずっとミサカを『守ること』に執着してた……どうして?ってミサカはミサカはあなたに問いかけてみる」
頬を滑り落ちていく汗が、酷く冷たかった。打ち止めの声は咎めるように響く。真っ直ぐに一方通行を見据えたまま、打ち止めは決意と寂しさと諦めをごちゃ混ぜにしたような、そんな顔で言った。
「あなたは、誰を、守りたいの?ってミサカはミサカは、問いかけてみる」
「ッ……」
そんなもの、目の前にいるお前に決まっている、と言いたかった。言いたかった、言いたかった。けれど、そんなことは言えなかった。何故ならば、目の前の彼女は知っている。

 一方通行が本当に守りたかったものが何なのかを、知っている。
 後生大事に抱えたガラスの靴が、本当は誰のためのものなのかを、知っている。

「ミサカは……守られたいわけじゃないんだよ、あなたに誰かを傷つけて欲しいわけじゃないんだよ……ただ、」
一緒にいてくれたら、と声もなく彼女は付け足した。そんな打ち止めを、一方通行は直視出来なかった。

 『彼女を、彼女を傷つけようとする何物からも、守る』
 だから――傍にいても良いのだ。
 それは大義名分のガラスの靴。
 それを持つ限り、彼女を求め続けられる――そんな魔法。
 なくしてしまえばそれきりの――そんな魔法。

 握りしめた拳から汗が滴り落ちそうだった。それぐらいに緊張して、心が止まりそうだった。何も言えない。視線すら動かせない。少しでも動けば、それが答えになってしまいそうで。
 打ち止めを救いたかったのではなく、打ち止めを救うことで自分を救いたかったのだと。だからこそ、守ること以外で傍に居られないのだと。だからこそ、守れれば彼女の気持ちなど、どうでも良いのだと――そんな浅ましい答えが、伝わってしまいそうで。

 二人の間に降りた沈黙を破ったのは、そっと伸ばされた打ち止めの指だった。それは音もなく一方通行の手に忍び寄って、気がつくと温かな温度が触れていた。視線が合っても、彼女は何も言わなかった。
 卑怯者の手を握ったまま、彼女は何も言わなかった。


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何を隠そうサカザキさんはお互いに片想いが大好物なのです
ラブラブな通行止めも大好きなのですが、
打ち止め→一方通行かつ一方通行→打ち止め(≠打ち止め⇔一方通行)も大好きなのです
お互いがお互いにとって唯一無二ならば何でも良い節操なし
ということで……たまにはこういうのもやります……ごめんよ


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