目が覚めてしばらくは、何だか意識に違和感が残っている気がする。でもそれはいつものことなので、特に気にすることなく打ち止めはベッドから這い出した。
 がちゃりとドアを開けてリビングへ向かう。居候しているヨミカワの家は女二人に子供一人で住むにしては間取りが広いので、余った一部屋の前を打ち止めは毎回横切る羽目になる。隣の部屋の方がリビングに近くて良いなぁ、とその度に打ち止めは思う。ドアを開けて同居人に挨拶すると、ジャージ姿の同居人は打ち止めと同じくらいに元気良く、白衣姿の同居人は低血圧らしくどこかぼんやりした挨拶を返す。ソファの定位置である左側に腰を下ろすと、容赦なく目に入ってくる光が眩しくて、思わず窓の外へ目を向けた。
「うーん、良い天気!ってミサカはミサカは伸びをしてみたり」
今日も空はどこまでも青かった。

 打ち止めには生まれてきてから今までのほんの1ヶ月分ほどしか記憶がない。
 打ち止めは『9月1日』に生み出された量産型能力者計画の最後の検体だ。起きる時に何らかのトラブルがあったらしく、他の個体よりもスケジュール的に大分遅れて生まれてきた。上位個体である自分が状況を把握しないわけには行かないのでネットワークの妹達に8月31日以前の記憶の構築を頼んだが、誰に頼んでもやんわりと婉曲的に断られてしまっている。それが何故なのか、打ち止めにはさっぱり分からない。
「…………うーん、どのミサカに聞いてもダメなんだもんなぁ、ってミサカはミサカは困ってみたり」
最近になって思うのは、他の妹達が何か隠しているのではないか、ということだ。特に怪しいのは――8月31日。生まれてくる前日その日の話題を他の妹達に振ると、様々な反応が返ってくる。戸惑いを隠さない者、無表情の中にも苛立ちを時折垣間見せる者、ただ哀しそうな顔をする者。その皆に共通しているのは、どこか痛々しそうに打ち止めを見る視線だ。口を揃えて、特に有益な記憶はない、と言うが、返って逆効果なのではないかと思う。
「何なのかなぁ、ってミサカはミサカは呟いてみる」

 学園都市に籍を置いている妹達の中でまだ記憶の構築の相談をしていないのは、ミサカ10032号だけだ。打ち止めはおやつを食べてから街へ繰り出した。他の妹達を尋ねていった経験上、ちょうど今ぐらいの時間が下校時刻に当たると打ち止めは知っている(尤も妹達は学校に行っているわけではないので、遭遇できない確率も高いのだが)
「よし、ミサカ10032号の反応はあっち!ってミサカはミサカは探偵っぽく格好良く決めてみたり!」
ネットワークでミサカ10032号の現在位置を特定すると、打ち止めは移動し掛けて――違和感に顔を顰めた。立ち止まってまず視界を注意深く見渡す。アスファルトの道、電柱、長く続く塀、散歩中の犬と犬を連れた初老の夫婦……特にこれと言って変なものはない。
(?)
次はネットワークを探る。さっきまで見ていた他の妹達の現在位置を示すマップを確かめたところで、ようやくその正体が分かった。画面上には現れていないが、ネットワークに繋がった強烈な存在を感じる。
(……何だろ、ってミサカはミサカは疑問に思ってみる)
妹達のみを表示するマップであるにも関わらずその存在を感じさせるような人間は、余程妹達に近しいか、あるいは妹達から余程注目を浴びているのかのどちらかだ。
(……変、なの……ってミサカはミサカは、)
打ち止めの意識はふらふらとその違和感に吸い寄せられていく。曲がればすぐそこにミサカ10032号がいるはずの通学路を真っ直ぐに通り過ぎ、妹達がネットワークで美味しいと騒いでいた甘味処のある角を右へ。進めば進むほど、その存在感は強くなる。
(…………何だか、)
自分はこのひとを知っているのではないか、と。そう思わせるような――どこか怖い、けれど懐かしいようなそんな存在。打ち止めは徐々に足を早めていく。あと100メートル……50メートル、30メートル……。
(…………ミサカはミサカは、)
10メートル、5メートル。小走りになりながら近づいていったところで、遠くに小さな人工の踏み切りが見えた。お目当ての相手はその向こう――白い服に身を包んだ、痩せた背中が見える。その後姿が、ほんの一瞬だけ懐かしさを感じさせて。
「ま、待って! 待ってってミサカはミサカはっ、」
思わず叫んで全力疾走になった打ち止めに、その人影はゆっくりと振り返った。

 その刹那――

 鳴り出した踏み切り音が、降りていく遮断機が、そのひとと打ち止めの間を切り離していく。目の前を過ぎっていく電車に、少年の姿がかき消される。何故か、何故か、何故か、酷く気になって――けれど辺りに響き渡る踏み切り音が、打ち止めの足を縫い止めた。

 その刹那に見えた少年の表情は、あまりにも――

 体を振るわせる音を伴って、車体から漏れる光が流れていく。たった数秒のその停滞が、取り返しのつかないことをしているような気にさせる。
(………………どうして、)
目に灼きついた表情が、離れない。風体だけ見れば、近寄りたくないようなそんな少年なのだ。上から下まで真っ白な癖に、妙に雰囲気が刺々しくて、一言で言うとおっかない、そんな印象。ただ立っているだけなのに悪目立ちする、そういう人種。
 けれど目が引きつけられたのはそのせいではない。だって――

 確かに彼は、この上なく嬉しそうに笑ったのだ

 永遠に感じられた数秒が過ぎて、打ち止めは遮断機の上がった踏切を駆け抜ける。転びそうになりながら急いで反対側へ渡っても、そこに彼は居なかった。いつも通りの変わらぬ雑踏、忙しなく行き交う人々。周りから切り取られたように静かに佇んでいた彼は、どこにも居ない。ほんの一瞬だけ見えた幻のように、跡形もなく消え失せている。振り返る――人ごみ、振り返る――人波。どれだけ探しても彼の姿は見えない。
 はぁはぁと息を切らせながら、打ち止めは俯いて流れてくる雫を拭う。そんなに疲れるほど走ったわけでもないのに、アスファルトにぱたぱたと水滴が落ちていく。
「…………あれ、」
後から後から溢れてきて止まらないそれに、打ち止めは瞬きをした。そこでようやく打ち止めは視界が滲んでいることに気がついた。
「あれっ、あれあれ……ってミサカはミサカは……」
ぽろぽろと目尻から流れてくるそれは、涙だった。そう認識した瞬間、胸の奥がずきりと痛む。
「あ、……?」
唇から、零れ落ちそうで零れ落ちない名前。一体何を……誰を忘れているのだろう?

 浮かされるような高熱と、額に当てられた手のひら
 次々に浮かんでいく、『あの日』の鮮やかな記憶

 フラッシュバックする、声と体温と言葉と、あのひとを構成するすべてのもの
 確かにあの日触れた、笑いかけた、追いかけた――一緒に居てくれたあのひとは、

 頭が割れるように痛くなって気が遠くなる刹那、打ち止めは塗り替えられた記憶の端に見つけた、その名前を呟いた――自分を救ってくれた、宝物のようなそのひとの名前を。


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もしも5巻で打ち止めが記憶を失ってたらシリーズ(続きません
筆は進みやすいんだけど、書いててあまりに白い人が不憫になってシリーズ化できませんでした的なオチ
読んでて更に辛い白い人サイドに(続きません


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