そのぞっとする程の冷たさに戦慄した。
 一方通行はその小さな手を折れるくらいに握り締める。やがて肌の奥底に僅かに生命の温もりが灯っていることにほっとした。
 何故、ほっとしたのか――考えるもおぞましかった。


 厚手の服を6枚に、空き家からかっぱらって来た毛布と自分のコート。それが手元にある暖を取れるものの全てだった。打ち止めの熱はずっと下がらない。時に高熱、時に微熱。酷く不安定な体調が続いている。
(……クソッ、)
歯ぎしりをしそうになったところで、打ち止めの眉がピクリと動いたことに気づく。彼女はこんな状態になってすらも、一方通行の精神状態に酷く敏感だった。例えば一方通行の情緒が不安定な時、彼女の手は何かを求めるように彷徨う。例えば一方通行が自暴自棄になりかけた時、彼女の唇は物言いたげに薄く開く。まるで、自分が傍に居ることを主張するように。独りではないと、一方通行に言い聞かせるように。
 一方通行は打ち止めの傍らにしゃがみ込んで額に手を当てた。相変わらず体調は悪そうだが、幾分か熱は引いているようだ。だが呼吸が荒いことに変わりはなかった。それは生きていると主張しているようにも、緩やかな死の前兆のようにも思えた。
 今の状態がジリ貧なことぐらい、一方通行にも分かっている。たった一つの希望に縋って攫って来てしまった彼女はあまりにも弱々しい。戦うことは出来る、守ることも出来る。でも忍び寄る死の脅威を振り払うことは出来ない。
「……、ぁ……」
見上げてくる視線の色だけで、一方通行は彼女が水分を欲しがっていることを察した。部屋の隅に置いたバッグから魔法瓶を取り出して振り返って――その光景にゾッとした。部屋の中央で眠っている彼女が、一瞬呼吸を失っているように見える。どうやって彼女の元へ舞い戻ったのか分からない。気づけば手に魔法瓶はなく、眠る彼女を傍らで見下ろしていた。そのまま固まっていたのかもしれない。心臓の音だけがやけに五月蝿くて、思考が言葉にならない。ただ酷く酷く頭が濁ったような気味の悪い感情だけを流しこんでくる。
 視界に映る彼女の唇が僅かに動いた気がして。ハッと気づいて手を握る。そのぞっとする程の冷たさに戦慄した。
 それは、どこか懐かしい感触だった。例えば気まぐれにそっと血のついた頬を撫でた時の、例えば吹き飛んだ彼女たちのバラバラ腕を集めた時の――おおよそ数えることも馬鹿らしいくらいに、数多くの経験。
 一方通行はその小さな手を折れるくらいに握り締める。やがて肌の奥底に僅かに生命の温もりが灯っていることにほっとした。

 そうしてそのまま、もう片方の手で穴が開く程に強く、木製の床を殴りつける。

 何故、ほっとしたのか――考えるもおぞましかった。
 亡くすことが怖いのではない――無くすことが怖いのだ。
 自分が斬って捨てた彼女たちの言葉を、声を、感触を忘れていくように……"この彼女の言葉も、声も、感触も、その笑顔でさえ忘れてしまうのではないか"と。自分にとってただ一つ、この世の何よりも大切な彼女が――その実他のものと同じように、消えていってしまうのではないかと。そんな自分のことばかりを、クダラナイことばかりを、考えている。
「……ね、ぇ……」
彼女がか細い声で呼ぶ。応えるように額を撫でてやると、彼女が酷く穏やかな顔で自分を見上げた。瞳はシンと静かで、何処までも深く自分を見ていた。その瞳の色の深さを、何時までも覚えていられると、ほんの一瞬勘違いしそうになる。だがすぐに眠るように閉じた瞼がそれを粉々に壊してしまった。

 初めて会った時の言葉を、握られた掌の温かさを、彼女の嬉しそうな笑顔を、全て全て覚えている。
 でも、それは何時までだ? 彼女が居なくなったら、自分は何時までそれを覚えていられる?
 ――殺した彼女たちの最期の表情すら、もう思い出せないと言うのに?

 冷たい空気が、彼女の肌の温度を溶かしていく。ゆっくりと、残酷なまでに確実に。
「…………なァ……ずっと、」
傍に居ろ、と言いたかった。ずっとずっと傍に。出来れば死ぬ時まで片時も離れずに傍に居て――そうすれば、忘れることはないだろう。生涯忘れることはないだろう。けれど、それはただ"忘れない"だけだ。灼き付いて離れないというただの錯覚。自分が人間らしく在れるというただそれだけの夢。そんなものを欲しがる自分の――愚かしいまでの非人間さ。
「オマエのことは、」

 "忘れたくない"と――白い怪物は呟いた。
 目を閉じても思い浮かぶ笑顔は、今は色褪せない。それが生涯続くように、彼は祈ることしか出来なかった。


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自分で言うのも何ですが、暗い話になったね!
たまにはこういう救いようのない話も良いじゃないかと思うんですが…
うちの一方さんは全くアハギャハ系でもオラオラ系でもない精神的なヘタレで困る
ちなみに勿忘草の花言葉には「誠の愛」があるそうですよ(後から調べた


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