「おとなしく投降するじゃん! 打ち止めー、あんたは完全に包囲されているじゃーん!」
病院内で拡声器を使う教師などそうはいないのではないだろうか――たとえ警備員であったとしても。そう思いつつ、廊下の隅で待機しているミサカ10032号は打ち止めに次の指示を仰ぐ。
『と、言っていますがどうしますか、とミサカ10032号は上司の発言を促します』
突き当たりの部屋に追い詰められているはずの打ち止めは自信満々の声で言った。
『もちろん三十六計逃げるにしかず!ってミサカはミサカは宣言してみる!』


 タクシーに乗って向かった先にいたのはいつもの見慣れたカエル顔の医者ではなく、背の高いメガネをかけた医者だった。
「あれ? 今日はいつもの検診と違うの?ってミサカはミサカは聞いてみたり」
打ち止めは首を傾げながら黄泉川に聞く。打ち止めの体は元々の『製造過程』が特殊であった関係上、定期的な検診・メンテナンスを必要としている。とは言え、体が安定した最近ではチェック項目は大分省略されていて、病院に一人で行くのも珍しくなくなっていた。今日は黄泉川がついてくると言うので何か変だな、と思っていた打ち止めだが、全然知らない医者が出てきたことで更に疑いの目を強くする。
「あぁ、今日は違うじゃん? いつもだとあの脳波ピピーッてやったりするやつだけど、今日は一般的な検診じゃん」
「一般的な検診?ってミサカはミサカは聞き返してみる」
先導する医者に従いながら、打ち止めと黄泉川はいつもと違う病棟に足を向ける。慣れた建物の廊下とは違い、幾分か人の行き来が激しい。その中でも、打ち止めと似たような年齢の子供たちがたくさん移動しているのが見かけられた。同年代の子供たちの顔は一様にどこか緊張を含んでるように見え、中には泣き出している子もちらほらいる。
「身長とか体重とか測るじゃん」
「ふぅん……ってミサカはミサカは微妙に納得いかなかったり」
黄泉川が目を逸らしながら答えたのが何故なのか、打ち止めが知るのは僅か15分後のことだった。

 身長・体重・視力・聴力エトセトラ、大方終わったと思い込んで進んだ次の部屋で、打ち止めは大声をあげた。
「よ……ヨミカワ! さっきの身長とか体重とか、の『とか』の中に注射が入ってるって聞いてないよ!ってミサカはミサカは驚愕してみる!」
部屋の中には3つの列が出来ていて、その先には白衣を着た医師たちが座っている。腕をまくられてる子の緊張した顔、終わった子の安堵して泣きそうな顔。注射という行為は子供にとってかなりの恐怖になる。思わず不安で黄泉川を見上げる打ち止めだが、黄泉川はあまり取り合ってくれない。
「じゃあ私は外で待ってるじゃん?」
笑いながらひらひらと手を振って黄泉川は部屋の外に姿を消してしまった。
 ぽつんと取り残された打ち止めはきょろきょろと部屋の中を見回す。どの列にも加わらずにいるのは打ち止めだけだ。どうしよう、と逡巡していると、出入り口の辺りに立っていた看護婦が打ち止めに気がついてこっちに向かうのが見えた。
 あぁ、ダメだ。あの列に加えられてしまったら、その先には注射が待っているのだ。注射は痛い、とっても痛い。ぐるぐると頭の中の不安が増殖していく。
 すれ違っていく子供がべそをかいているのを見て、打ち止めは逃げるように一歩後ずさった。訝しげな顔をした看護婦がこっちに手を差し伸べてくる前に、打ち止めはそのままくるりと踵を返す。
「ミ、ミサカは受けるって言ってないもん!ってミサカはミサカは猛ダッシュ!!」
そう叫ぶと、打ち止めは入ってきたのと別のドアから外へ飛び出した。
「? ……え、あ、打ち止め!?」
驚いた顔をした黄泉川の前をぶっちぎり、打ち止めはネットワークの妹達を呼び出す。
 長い戦いがここに幕を上げた。


 打ち止めは追ってくる黄泉川や看護婦達の目を掻い潜って病院内を逃げ続けていた。サポートは妹達がしてくれている。幸いこの病院は妹達のメンテナンスを担当している病院なだけあって、彼女達にとっては勝手知ったる庭のようなものだ。
『そこから右へ入ってください、とミサカ10057号は指示します』
『2番目のドアの佐藤さんは現在リハビリ中で部屋を留守にしています、そこで待機を、とミサカ19090号は次の行動を告げます』
そんなこんなで順調に出口に近づいていたのだが、黄泉川も負けてはいなかった。これまでの経験を生かしてルートを予測し、逆に打ち止めを病棟のとある一部屋にわざと追い込んだのである。
 そして冒頭に至る。


『これは弱りましたね……とミサカ10501号はため息をつきます』
『上司から一番近いミサカでも、ポイントA・C・Hをクリアしなければ辿りつけなさそうです、とミサカ17000号は冷静に分析します』
ネットワークからは次々と白旗が上がる。元々、打ち止めが血液検査を受けないことについて疑問に思っていた妹達なので、そこまでして味方する理由もない。心情的には打ち止めを助けてやりたいが、検査は受けた方が良いに決まっているのである。
「おとなしく投降するじゃん! 打ち止めー、あんたは完全に包囲されているじゃーん!」
追い詰めた、ということに気を良くしてか、拡声器から流れる黄泉川の声はノリノリだ。病院内であんな大きな音を出して迷惑なことこの上ないが、この病棟にいるのが妹達だけだからやっているのだろう。
 妹達を代表して、ミサカ10032号は打ち止めに話しかける。
『と、言っていますがどうしますか、とミサカ10032号は上司の発言を促します』
ところが、突き当たりの部屋に追い詰められているはずの打ち止めは自信満々の声で言う。
「もちろん三十六計逃げるにしかず!ってミサカはミサカは宣言してみる!」
妹達がわけが分からず首を傾げていると、打ち止めは部屋の窓のロックに手を伸ばした。
「こないだ来たから覚えてるんだけど、確かここの窓の下にはちょうど降りれるようなとこがあったもんね!ってミサカはミサカは勝利を確信してみたり!」
『あ、そっちは――』
ネットワークが騒然とした気がしたが、打ち止めはそれを耳に捕らえるよりも一瞬先に窓から飛び出していた。ビニールで出来た庇に飛び降りようと真下を確認して、
「へ、?」
飛び降りた先には――何もなかった。重力に従って落下していく先には、地面まで何もない。事実を頭が認識する間もないまま、見る見るうちに地面が迫る。
(ッ……!!)
どうにもならない状態に目を瞑ると、途端に――衝撃。しかしそれはとても地面に叩きつけられた、というような乱暴なものではない。恐る恐る打ち止めが目を開けると、いつもの見慣れた白髪が映った。事態が把握できなくて目を白黒させる。地面から少し距離があることを考えると、抱きとめてもらったらしい。
「…………一方通行……?」
恐る恐る呟いたが、一方通行は何も言わない。最初は逆光で分からなかった顔も、彼が歩き始めたせいで光の角度が変わって、時々釣り上がった唇の端や皺の寄った眉間が見え隠れする。その表情の端々だけで、彼が怒っていることが分かる。
「……どこ行くの?ってミサカはミサカは聞いてみたり……」
小さな声で尋ねても一方通行は無言だ。それ以上何も言えなくて黙り込んでいると、植え込みの近く辺りで一方通行は歩みを止めた。ゆっくりと丁寧に降ろされた先は中庭のベンチだ。傍らにしゃがみ込んだ一方通行は地面に視線を落としたまま肩を震わせている。何か言わなければ、そう思って打ち止めは口を開きかけるが何を言って良いか分からない。
「あ、あの……」
結局戸惑って口ごもりながら声をかけると、一方通行がゆっくりと顔を上げた。
「……………………この、クソガキ!」
そのまま、思いっきり頭を叩かれた。音こそ大きかったが、痛みはそれほどでもない。でもこれまでにこんなに勢いよく叩かれたことはなかったので、打ち止めは呆然としてしまう。
「オマエ何のためにネットワークついてンだ!? いや……まァ、こンなことのために使うモンでもねェけどだなァ、少なくとも紐ナシバンジーしねェように頭使え、頭!」
一気に捲くし立てた一方通行は、ハァ、と息継ぎだかため息だか分からない声を漏らす。その姿を見て、打ち止めは今更ながら酷く心配をかけたことに気づいた。視線をやると、打ち止めがいた部屋の窓に黄泉川や妹達の顔が見える。
 黄泉川にも妹達にも謝らなくてはならないだろう――もちろん、目の前のこの人にも。
「……ご、ごめんなさい、ってミサカはミサカは謝ってみる」
指先で触れた一方通行の手のひらは僅かに汗ばんでいる。走ってきてくれたのだろうか。きっとそうに違いない。よく考えれば抱きかかえられた時の彼の息遣いは、いつもより荒かった気がする。
「……偶々だっつの」
ぶっきらぼうにそう言って立ち上がり、打ち止めの手を引いたまま一方通行は歩き出す。その背中が何故だか打ち止めにはいつもより近く感じられた。


-------------------------------------------
web拍手で最近シリアスばっかですねー、とのお言葉をいただいたのと
先日の絵ちゃでナースとか医者とか言っていたのでサクッと思いついた話
一方さんがどこから現れたのかは謎。レーダーついてるのかこの人。。。
あ、あと流石に一方さんが過保護でも(つか過保護だからこそ)この後ちゃんと注射の部屋に連れて行ったと思うよ


inserted by FC2 system