世界の誰が認めなくても、私たちだけは認めてやろう。


 開け放したベランダに白いシーツが翻る。気持ちが良いくらいの快晴だった。
「……汚れ、取れないわね」
窓枠にもたれかかるような体勢で、ぽつりと芳川が言う。シーツに散った汚れは、それでも目を凝らせばそれが何であるか分かるくらいには、不吉な色を残していた。
「まぁ、でも捨てるほど汚れてないじゃん」
黄泉川は言う。全体的に『何か』の色に染まっているそれを他の人間が見たらこう言うだろう――『ゴミはゴミ箱へ』。だが、それでも二人はシーツを捨てようとはしなかった。
「あーぁ、まったく。シミ抜きは結構手間が掛かるじゃん」
本当のことを言えば、シミ抜きというレベルではなかった。何せ黄泉川がまずやったのは、シーツを浴槽に放り込むことだ。擦っても擦っても落ちない血の匂いに、黄泉川はいつの間にか泣きそうになっていた。
 もう二度とあんなことはやりたくない――絶対に、だ。
「……ちょっとは手伝ってほしかったじゃん」
思わず鼻の頭がつんとしてしまったのを誤魔化すように言うと、芳川は笑って肩を竦めた。
「そういうお嫁さん系のことは愛穂に任せるわ」
そう言う芳川は確かに家事らしきことはあまりやらない。だがあの時は、芳川だって何が起こっているのか確かめようとして目元にクマを作っていた。結局のところ、何も分からなかったのだが。
「あんな物騒なメッセージ残しちゃって……余計な心配するとは思わなかったのかしら」
ため息をついてそう言うと、芳川は眩しそうに翻る白色を見る。

 残していったのは血の残るシーツと凍えるような決意。
 連れていったのはかけがえのないもの。

 彼らが消えた当初こそ動揺していた二人だったが、不思議なことに程なくして気持ちに折り合いがついた。何となくだが、彼らなら大丈夫な気がしたのだ。状況は絶望的であるにも関わらず。そして何の根拠もないのにも関わらず。
 褒められた行動ではない。冷静に考えれば彼一人で出来ることなど何もない。体に致命的な不安を抱えている打ち止めをどうにか出来るのは、力ではなく技術だ。彼の持っている超能力ではなく、大人たちの持っている人脈や経験なのだ。そんなことぐらい彼には分かっていただろう。
 そしてそれがジリ貧であることもまた、彼には分かっていたのだろう。
「…………ホンッとに、馬鹿じゃん」
自分たちが何もしていないとでも思ったのだろうか? 芳川は毎日のように過去の資料を読み返していたし、黄泉川は常に打ち止めの体調を気にかけていた。彼は確かに過保護だったが、自分たちだって同レベルだと密かに自負していたのに。
「戻ってきたら、しばらく説教フルコースね」
「そうじゃん、気が済むまで一方通行だけご飯のとき空気椅子じゃん」
言うと、二人で顔を見合わせて笑う。純粋な希望だけではなく、諦めや不安が含まれた笑み。それでも、笑って――信じて待っていてやることが大事なのだと、お互いに気づいていた。

 リビングに目を向ければ、彼らの使っていた食器がある。廊下を通れば、彼らのいた部屋がある。その残り香は、持ち主がいなければ徐々に薄れていってしまう。
(早く、)
戻ってきて欲しいという言葉を、しかし二人はどちらも口にしない。なぜならばきっと今この瞬間も、彼は闘っているのだ。
 それは何も知らない部外者が見れば滑稽なことだろう。また、少し事情を知った者が見れば憤慨するようなことだろう。少女を今の境遇に落とし雁字搦めにしている張本人が、彼女を救おうとしているなど。悪足掻きにも程がある。

 だが――
 世界の誰が認めなくても、私たちだけは認めてやろう。
 あの子達は間違っていないと。
 そして、私たちだけは祈っていてやろう。
 あの子達が幸せになることを。

「……ダメになる結末なんて、想像できないわ」
その言葉に答えるように、目を細めて見上げた空に白いシーツがばさりと舞う――それはまるで、祝福を広げるようだった。


-------------------------------------------
ということで残された大人たち編でした
っていうか冷静に考えると部屋の中血まみれで打ち止め消えてるって結構な犯罪だと思うんですが
上手くまとまった状態にしようと思ったら短くなってしまいました、スイマセン


inserted by FC2 system